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「ごちそうさん」
旨かった、と続けたかった言葉は飲み込み、食事が済んだことだけを告げる。不機嫌なソレには本音の言葉も、気に障るお世辞にしか聞こえないだろうと考えたからだ。
俺の言葉など聞きとる耳はないとでもいうように、キッチンスペースで何やら作業をしているソレ。
これだから人付き合いは面倒臭い。漏れそうになる吐息を飲み込み、立ち上がって食器を片付けようと掴む。
「っ……」
苛々していたせいか、負傷していることを忘れて利き手で皿を持ってしまった。グワンと脳髄まで痺れるような痛みが走り、持ち上げた皿を落としてしまう。
カランカランと派手な音が鳴ったが、幸いテーブルの上に落としたので、割れることは免れた。皿の形を保っているそれを確認して、ほっと息をついていると、キッチンスペースにいたソレが駆け寄ってきた。
皿は割れていない、と口を開こうとする俺の右腕を掴んだソレは、苦痛に耐えるように眉を寄せ、布の巻かれた患部を睨み付けている。
「皿は割れていないが、すまなかった」
壊しはしなかったが、皿をぞんざいに扱ったのが気に入らないのだろう。無理矢理家に上がり込んだ奴に好意で飯を食わせてやったのに、恩を仇で返すようなことをされたら頭にきて当然だ。
ソレの怒りを甘んじて受けようと、それ以上は口を開かずにソレからの罵倒を待つ。
「怪我……」
グッと一文字に結んでいた唇を僅かに開いたソレが、蚊の鳴くような声を漏らした。少し掠れているが、低くも高くもなく耳障りのいい声だ。
「治るまで、何もするな」
初めてソレの声が聞けて、一仕事終えて血液がアルコールになるまで飲んだくれたあとの充実感に似た感覚を覚えていると、ソレは早口でそう告げて、奪うように皿を掴んでシンクに戻っていった。
何もしなければ居てもいいということか?
邪魔ならば追い出せばいいのに。つくづく人の心は読めない。
だが、追い出されては仕事がやり難くなるし、食事の楽しみもなくなる。素直にソレの言い付けに従うことにしよう。
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