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顔を上げれば、正面に鏡がある。そこに映る自分は、不安定なパラソルみたいに揺らいでいる。きっと目が揺れているんだ。ここのところ、化粧台でも風呂場でも、こんな姿ばかり見ている。
こういう気分の時に流すアルバムは、大体二、三枚に決めている。体内に染み入るように流れ出したのは、灯火のように儚いウィスパーボイス。十年以上前のシティーポップは、気怠げに東京の雨の憂鬱を歌う。十年前の彼らも、この街のいびつさに吐息を漏らしていたのだ。
瞼を閉じれば、ハイハットの間から海の音が聞こえる。故郷の磯の香りと、輝きの水面に心をゆだねていく。
雲は、海岸線に沿って三日月形の弧を描く。
夏空はぴかぴかに明るくて、砂浜は火傷しそうなほどに熱い。
子供たちは水をかけ合い、カップルはパラソルの下で楽しげに語らう。
耳どうしを、つないでいた。
よく日に焼けた耳を、イヤホンがつないでいた。
じっとりとした手をつないで、二人のちょうど真ん中から音楽を分け合っていた。
あのとき、どうして私はあそこを去ったのかな?
淀みのない空と、健康的に焼けた腕を捨ててまで、私の掴みたかった憧れって、なんだったんだろう。見たかった景色って、なんだったんだろう。
私の目の奥には、いつだって嫌というほどあの景色が焼き付いているなんてこと、自分が一番知っていたのに。
あの潮風と汗の湿り気を忘れられないだろうなんてこと、気付いていたのに。
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