ユキ

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 マノメは薄い唇を舐めて、じっとこちらを見据えていた。沈黙の中、私は自分の荒くなった息遣いが聞こえてくるような錯覚に陥った。 「帰るよ。明日は、早いからね」  ピリピリと張り詰めた空気を断ち切りたくて、私は声を上げた。ふと外の様子を観ようと、首を動かした。と、頬辺りに圧迫感を感じると思ったら、首を動かせなかった。マノメが両手で私の頬を包み込んでいたからだ。 「……痛いんだけど」  顔を振って、手を払おうとしたら、親指が頬骨辺りに食い込んだ。爪を立てられる痛みに、私は顔を顰めた。 「おい。離せよ」 「愛ね、薄っぺらい関係だ。もう彼は、君のことなんか忘れて、M―0421として任務に励んでるよ」  任務に励むの意味するところを、私は一瞬でも想像してしまい、吐き気が甦ってきた。食道にせり上がってくるものを嚥下して、歯を食いしばった。 「それでも良い。マサキが生きているなら、私はそれで十分だよ…おい、痛いんだよ。離せよ」 「献身的な愛だね。僕は君が、こんな愛情深い人だなんて知らなかったよ。ちょっと今、羨ましくなってしまったよ。血のつながりがあって、更に君が僕をこんな風に愛してくれたらなって」 「もう良いだろう。私は帰る!」  私はマノメの、翡翠色のカフスのついた手首を掴んだ。びくともしないことに驚愕したが、それでも手を引っぺ剥がそうと、手首を引っ張った。清潔なスーツに皺ができたが、構ってられなかった。  マノメは馬鹿にしたように笑うと、親指に更に力を込めた。皮膚が引っ張られて、頬の肉を剥ぎ取られるのではないかと危惧する力だった。  痛ぇよ!!糞がっ!!!  叫び出したくなるのを、私は必死で堪えた。こいつの前で、もう取り乱したくないという気持ちの方が大きかった。  マノメの目は見開いていて、ぎょろぎょろと眼球が動いていた。さっきまで、作り笑いで隠していた獰猛な顔が姿を表していた。 「でもそんな愛が何になる?愛情なんてね、不確かなものなんだ。でも血のつながりは違う。血のつながりだけが確かだ。君がどんなに否定しようとも、僕と君のつながりが切れることは無いんだ。君が例え、戦場で死ぬことになっても、僕と君は永遠なんだ」 「離せよ!」
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