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「――あの、さ」
男が七海の方を見上げると口を開いた。
顔立ちと同じでキレイで透明感のある声だったが、口調はふてぶてしく、話すこと自体がさも面倒だとでも言いたそうな感じだった。
「はい?」
「そこのビルまで運んでってよ」
「えっ?」
運ぶって、何を? と七海は思ったが、どうやら男は「自分」をそこのビルまで運んで行ってほしい、と言っているようだった。
七海は男が「運んでって」と言ったビルの方を振り返った。
7階立てくらいのビルだろうか。そこまで大きくもないが小さくもない。新しい感じもしないが古くもない。どこにでもある、至って普通の雑居ビルだ。
ビルの一階は小さい本屋になっている。
この本屋さん、ずっと入りたいと思っていた所だ、と七海は思い出した。
レンガ造りの外壁に洒落た看板、大きな窓から見える店内は明るくて居心地が良さそう雰囲気だった。
店の奥には本を自由に読めるスペースがあるらしい。
通勤路にあっていつも通り過ぎるたびに気になっていたが、会社の昼休みに行くには少し遠いし、かと言って休みの日にわざわざ来るのも……と思っていて、ずっと行く機会を逃していた。
そこのビルまで運んでほしいということは、この男はビルの住人か何かなのだろうか。
でも、自分一人でこんな背の高い男の人を運べるのだろうか。
それに、この人、誰かにものを頼むのに、こんなふてぶてしい態度って……。
七海があれこれと考えていると、また急に目の前が明るくなった。
男がさっき転がり落ちてきたバンが、Uターンして戻って来たらしい。
男はバンが戻って来たことに気付くと、表情を変えて慌てて起き上がろうとした。でも、やはりうまく起き上がれないようで、再びアスファルトの上に倒れ込んだ。
「――ちょっと、運べって言ってるだろう!」
「あっ、はい!」
男に大声で言われて、七海は反射的にしゃがみ込むと、男を抱きかかえて立ちあがった。
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