第一幕

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 弟からは騒ぎになっていると聞いていたが、自分にそんな価値があるとは思えなかった。  イエス=キリストは地元でだけ奇跡を起こせなかったという。カゲオはキリスト様などとは比べ物にならない俗物であるが、鼻を垂らしてピーピー泣いていた頃から自分のことを知っている人々がいる地元というところは、有名になってから凱旋するのに気恥ずかしい場所である。  ローカル線が海岸沿いを走りだした。日本海独特の浜風と塩の匂いがした。日本海は穏やかな太平洋に比べて、やはりどこか寂しく、色がなくて、波が荒い。  日本海はカゲオにとって落ち着かせる風景であると同時に、嫌な記憶を思い出させる風景でもあった。  ネガティブな性格のカゲオはすぐに不安になる。不惑の歳を越え、本厄も越えたが、カゲオは今も迷いまくっている。  まず思い出されたのは元担任の教育長、那智のことだった。この男にカゲオは何度罵倒されたかわからない。  まだ子供の人権だの体罰などがとやかく言われなかった時代のことである。グズでドジだったカゲオはこの男に散々怒鳴られ、いびられ、殴られた。  那智は名前を人良といった。 「なちひとよし」……「ナチスのヒトラー」というのが陰でのアダ名だった。     
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