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器のゆくえ
人は皆心に器を抱えてる。それは器が大きいとか小さいとかではなく、もっと感情的な何かの容器。
そして、それは器なのだから容量がある。
つまりは限界。
我慢の限界なんていう言葉は、この話の例にぴったりだろう。
深夜、そんなことをつらつらと電話口に話した。
でも、受話器からは当たり前に応答がない。ただ、ツー、ツー、と機械的な信号が流れるだけ。
それもそのはずだ。最初から誰にもかけてなんていないのだから。
最近だと思う。こうやって、真夜中に誰にも電話をかけず、機械音を相手に話すことが落ち着くと知ったのは。
「さて、もう終わりにしようか」
受話器から耳を離そうとしたその時だった。
ガチャ、と電話に誰かが出る。唐突に受話器が話し出した。
「もしもし、おはよう。僕だけど聞こえてる?もう朝が近いけれど起きてる?」
間髪入れずに電話口に話しかてみる。
「ああ、起きてるよ。君は誰だい?」
どういうことだろうか。
「僕は僕だよ。この場合、君も僕であり僕も君だけど」
「へー。じぁあ、もう一人の僕か」
ふむ。どういうことだろうか。大抵のことには驚かないが、これには少々驚いた。
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