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いつだって、その人は家の右側の窓辺か縁側にいた。本来ならこの家の婿を貰い当主になられる方。
香織お嬢様。
お嬢様はおきれいな方で幼心にああ、美しい、と思ったものだった。
「あら、辰太」
物陰からこっそり窺っていたのだけれど、別に隠れていないせいかあっさり見付かってしまった。僕を見付けて微笑むお嬢様は本当にきれいだ。この辰太と言う名はお嬢様にいただいたのだと父に聞いた。お嬢様のかつての婚約者から字をいただいて。
お嬢様の婚約者は先の大戦で亡くなられたらしい。未だご健勝のご当主の、忠実なる従者である鳴海さんのご長男だったそうだ。
「いらっしゃい。一瞬辰之助さんかと思ったわ」
お嬢様は戦死の知らせを聴いてもずっと待っていらっしゃる。こうして門扉の見える建物の右側で。いつも見えるように。
今日僕は阿佐前の門からでなく敷地の繋がっている鳴海の門からここを訪れていた。鳴海の家は阿佐前と背中合わせに建っている。お嬢様が僕に気付くはずも無いのだけど。
「ご、ごめんなさい……」
僕は謝った。期待させたなら、とても申し訳無いことをしたからだ。
辰之助さんは、戻って来ないとしても。お嬢様は。
「良いのよ。辰之助さんも鳴海の門から帰って来るなら良いのにね」
でも、無いわね。だって、戻ったら一番に阿佐前に来るから。
お嬢様の婚約者だからなのか長年仕えている鳴海の長男だからなのか。僕にはわからないけれど確かに、そうかも、とは思った。
「お嬢様」
「嫌ねぇ。辰太。私とあなたは遠くても親戚なのよ? しかもあなたの名前は私が付けたの。『お嬢様』なんて呼び方はやめて?」
それに、とお嬢様が続ける。
「この家はあなたのお父さんが継ぐのよ。あなたのほうが『お坊っちゃん』になるじゃない?」
揶揄うみたいに笑ってお嬢様が、香織様が言った。
「『お坊っちゃん』はやめてくださいよ」
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