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「……で、どうする?」 「え?」  マスターの丸味のある肩越しに、ピアノに向かって軽く指を動かしているその人がいる。  春はついうっかり目を奪われていた。  お客の入っていないガランとした店内に、ピアノの旋律が静かな雨音のように滲んでいる。  その人の横顔はやはり怖いけどとても静かだ。  マスターはまたクスクスと笑った。 「土曜日も出てくれるなら時給千円にするよ? ほらあの人。彼がピアノを弾く日はお客が多いんだ。どう?」 「土曜日……」  土曜日は、転勤で県外へ出ている兄が帰ってくる。  家族を持つ単身赴任者のように毎週金曜の夜に、仕事を終えたその足で帰宅して月曜早朝の新幹線に乗る。  陽は兄がいないと寂しい以外に色々困ることがあった。
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