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皮膚に張り付くシャツが気持ち悪い。
早く帰りたいのに人が多くてなかなか帰れない。
自転車から降りて人の流れについて歩くことしか出来ず、そうしているうちにも残り少ない体力は暑さで消耗されていく。
汗が頬を伝う嫌な感触を、拭う気力もない。
花火大会の今日に限って現場作業が長引くなんて。
ついてない。
前の人が立ち止まると、僕も、押していた自転車にブレーキをかけて立ち止まった。
錆びた音が寂しく鳴る。
「全然進まないね。もうすぐ始まっちゃうのに。」
前にいた浴衣の女性が、その隣の男性へ嘆いた。
男性は浴衣ではなく甚平を着ており、手に持ったうちわは夏のかけらも感じさせない携帯ショップのもの。
そんな彼がそんなうちわで彼女を仰いだ。
「そんな怒るなよ。」と。
彼女経由の生ぬるい風が僕まで弱々しく届き、なんとも言えない甘い匂いがぬるっと肌にまとわりつく。
乗り換え手数料0円。の文字が無意味に僕の頭に記憶された。
目線を逸らすと、煌々と立っている自動販売機。
涼しげに並ぶ缶を横目に我慢できず、リュックから財布を取り出し、ボタンを押してしまった。
ガコン。
中で放り出された缶が鈍い音を立てて落下すると
同時に、
パン。
と夜空で乾いた音が響き、
周りの人達が一斉に空を見上げた。
花火が始まったようだ。
浴衣の女性のテンションが妙に上がっていて、甚平の彼氏は彼女の手を離さないようにしっかりと握っていた。
仕事帰りに人混みに巻き込まれ汗だくで自転車を握っている僕も、三年前までは彼女の手を握っていたという事実を思い出してしまう。
並んで見た花火の色と音も、忘れられないでいる。
2人で食べたりんご飴も、
メロン味のかき氷も。
前のカップルが羨ましいなんて思っているわけではなくて、今あの頃に戻れたらもう少し上手くやれてるかな、なんていう'たられば'を妄想しているだけ。
先に進まないこの人混みと同じように、僕の気持ちもあの頃から前に進んでいないことは、自分でも理解しているつもりなのに。
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