第1章 逆縁

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逆縁―それは、親より先に子供が死ぬこと。世間では、親不孝の1つと考えられている。 いつだったか、誰かに教えてもらったこの単語を、俺は思い出していた。薄暗く、じめじめとした部屋で。 俺がこの言葉を思い出すキッカケを与えてくれたのは、娘だった。よく知ってるな、さすが俺の娘は賢い。そう言って、彼女の頭を思い切り撫でてあげたい。そしたら娘は、 「もう、お父さん。それくらい知ってるよ。大学生なんだから。」 と笑いながら言うだろう。しかし、娘は、頭を撫でても何も言わない。ただ、ずっと眠っているだけだ。俺と妻の美穂の前で。 「嘘…嘘でしょう…。」 俺の隣で、美穂が泣きじゃくる。彼女の隣にいる黒い背広を着た男が、口を開いた。 「1月29日午後8時27分、自宅アパートの洗面所で、右手首から血を流して倒れているところを、管理人が見つけて救急車を呼ぼうとしましたが、手遅れでした…。」 彼はひと呼吸置くと、また喋りだした。 「石川沙奈絵さん、19歳。緑山大学1年。 お嬢さんで、間違いないですね?」 「はい…。」 声を出すのって、そんなにきつかったっけ? 「死因は、出血多量による、失血死かと思われます。アパートの管理人の他に、誰かが室内に入った形跡も、抵抗した形跡もない。部屋も荒らされていませんでしたし、自殺と考えられます。」 「じ、自殺?」 「え!?」 こいつは何を言っているんだ、頭がおかしいんじゃないかと思った。沙奈絵が自殺?ありえない! 「ちょっと待って下さいよ!娘が自殺なんかするわけがない!」 「そうよ!沙奈絵は、自ら命を絶つような子じゃないわ!」 しかし、彼は、淡々としている。 「落ち着いて。我々も現場検証を行いました。遺書は見つかりませんでしたが、娘さんは自殺されたと思います。」 言葉が見つからなかった。 「司法解剖の同意書にサインをお願いします。」 刑事が指さした欄に、石川順一、とサインする。 ペンを持つ手が、小刻みに震えた。
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