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樫山は試しに、「あ」と言ってみた。すると声は出ずに、代わりに目が開いた。
樫山は眩しさを目を細め、あたりを見回した。どうやら、店の床に仰向けになっているようだ。
「きゅ、救急車……。えっと、いち、いち、きゅう」
救急車? 見ると、樫山の横にぺたりと座った由梨が、震えながらスマートフォンを握りしめている。
「あの、急病人です! 急いでください! ば、場所は……」
救急車を呼ばれては大変と、樫山は慌てて手を伸ばし、由梨の手首を掴んだ。
「由梨さん、大丈夫。僕は、大丈夫ですから」
樫山の声に驚いた由梨は、青ざめた顔を樫山に向けた。樫山はその顔をじっと見つめた。
丸顔で、子犬のように澄んだ瞳、ふっくらと柔らかな唇。頬が涙で濡れている。城ヶ崎由梨。僕は、君をちゃんと覚えている……。
スマートフォンの向こうで、誰かが「場所はどちらですか?」と叫んでいる。
「ご、ごめんなさい。間違いでした」
由梨はそう言って電話を切り、大きく息を吐いた。「よかった」
そう言って閉じた瞳から、一粒の涙がこぼれ落ちる。樫山も溢れそうな涙をぐっとこらえ、現状を確認した。
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