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ふいに由梨は何かに気がつき、床からそれを拾い上げ、カウンターテーブルに置いた。
「包丁落ちてたよ。危ないな」
それは男を刺した包丁だった。
樫山の脳裏に、さきほど起こった悪夢のような出来事がよみがえる。
あの時、樫山は意を決し、一気に男の胸に包丁を突き刺した。一瞬、肉に刺さる感触があり、そのあとのことは覚えていない。
樫山はそこで気がついた。あの男は、おそらく樫山が怯えるだろうと言わなかったのだ。由梨が来なければ、由梨が救命処置を取らなければ、樫山は死んでいたということを。
「樫山さん、これ握ったまま倒れたの? って顔青いよ。大丈夫?」
包丁には、一滴の血もついていない。もちろん返り血なども一切見当たらない。あの出来事は、現実なのだろうか……。
「だ、大丈夫です。すみません。店の片付けをしていてる途中で倒れたみたいです。それより、由梨さんが来てくれなかったら、僕は今頃……」
樫山は由梨に深く頭を下げる。
「本当にありがとうございます。由梨さんは、命の恩人です」
「命の恩人とか、なんか恥ずかしいからやめてよ」
由梨は顔の前で両手を振り、照れながら微笑む。「でも、ほんと、助かってよかった」
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