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私は、混乱のままに、昨日まで会っていたかのような調子で、捲したてるように『後でまた行けばよろしいですよ。取材かと思いますから、私、よければカメラでお撮りしますよ。素人仕事ですが。』と、素っ頓狂なことを話しかけた。少しして、あの低く素敵な声がする。
「ありがたい申し入れだが、お前は帰れ。療養の時間を奪ってまですることじゃない。」
『でも、せっかくですのに。』
「自己犠牲を払うばかりが、良いこととは思えないぞ。”遠慮する”、わかったな。」
『はい…。』
きっぱりとそう言う、彼は、彼のままだった。
そして、無数のうちの私を、憶えている。私の昨今のことも知っている。
人ではない者だから不思議なことが起こってもおかしいわけじゃない。
そのままでいい。このままここにいて、少しだけ。
ぽろぽろと今頃に涙が溢れた。
(会いたかった。)
空は、日暮れへ向かい、薄曇く翳った。
ことばは宙に浮き、消えてしまった。
涙する情けない私の髪を、くしゃくしゃと撫でる彼には、誤解がなかったように思う。
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