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蓮の花のころに
猛暑のある日、私は、通院を終えて帰ろうとしていた。アスファルトの地面から、熱気が上がり視界が歪むようだ。ふだんと変わらない、日常のはず、だった。
突き当たりに小高い神社へ続く階段と緑をぼんやり見ていた私は、あの彼が、古びたスナックに入店していくところを見た。
彼の姿を ---
居るはずない、けれど、たしかに今のは…
夏の午後の強い陽射しに、蝉の鳴き声がこだましていた。
私の身体は、駆け出した。
彼の入っていった扉の前へ駆け寄り、立ち尽くす。
彼の姿を、忘れられるわけがない。
扉にぶつかりそうなくらい近づいて、勢い、扉のノブに手をかけようとしたその瞬間、がくりとノブが下がる。扉が開き、こちら側へ押し戻ってくる。夕方の早い時間だ、まだ店は営業時間ではなかったらしく、複数名の店員に丁重に見送られた彼が曖昧な笑顔のまま、歩いて来た。
ライトグレーのビジネススーツを着た彼が、扉に向かっていった私と出くわしぎょっとした表情をしている。彼が店員に送られた所に出くわしたこともあり、私は、何もことばが出なかった。
気持ちだけが走ったままで、まだ、どうしてとも聞けず、お久しぶりです、とも言えず、ただ驚きの中にいた。
目の前に、彼がいる。
逝ったはずの彼がいる。
激しい嵐の日、自分自身に斬られ、姿を消して以来、もう10ヶ月になろうかとしている、今、
私の暮らす街に、なぜか私の前に、彼がいる。
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