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起きたら夜になっていた。
ピアノの椅子に座ると僕はメンデルスゾーンの「夏の夜の夢-序曲」の楽譜を眺める。
もう何年も夜になると弾き続けてきたお気に入りの曲だ。
今はもう辞めてしまったけど、幼かった僕にはピアノだけだった。
ちょっと走っただけで喘息を起こしていた僕は他の友達と比べてできることも少なく、その事でよく父親からは「だらしない」と怒鳴られ、母親からは「そんな事もできないの」と蔑まれた。そして基本無関心だった。僕が夜中咳き込んでいても、声をかけてくれたことすらない。
きっと自分の子供が弱くて普通の子と違う事を認めたくないんだろう。
幼かった僕にそれを理解できる筈もない。
いつも怖かった。いつも寂しかった。でも自分が悪いんだと思っていた。
一つだけ、コンクールに出て優勝すると両親は褒めてくれた。
その「おめでとう」「よくやった」のたった一言が嬉しくて、欲しくて、休みたい時間でも細かい符号も見落とさず指を動かしていた。僕にはそれだけだから。
ダメ出しされやり直し、褒められるの繰り返し。
数々のトロフィーとピアノの技術は残ってくれても、なんでだろ、とても虚しかった。
トロフィーなんて割ってしまいたかった。
それでも認められたくて、安心が欲しかった、あの時の僕が今も夜になるとモノクロの鍵盤に向かわせる。
楽譜は見なくても自然と指は流れるように動く。すると、夏至の夜いたずら妖精パックが不意に現れ、人違いの男の瞼に恋の媚薬を塗ってしまう。
そういえば今夜は夏至だったな。妖精や幽霊たちが人間界にやってくるとか来ないとか。日本ではありえない話だけど。
こうして恋人たちを混乱に陥れているパックと毎夜戯れている。
完全に現実逃避。
誰にも認めてもらえないまま孤独に死ぬ恐怖をその間だけは忘れていられるから。
優しい香りが窓から運び込まれ、ダイナミックだった音色が緩やかに甘く変調すると、パックに導かれて元に戻った恋人達や仲直りした妖精王と王妃が白く浮かぶ。
……白い影? それにこの匂いは?
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