夏の夜の夢は月下に花を咲かせる

9/13
前へ
/13ページ
次へ
「美月に見せたいものがあるんだ」  窓を開けて、月下美人の見える所へ誘導する。 「昨日拾ったんだけど見てくれよ。元気になったんだ」  月に照らされ、しなだる蕾のガクが紅く色づいて艶やかだった。  その妖艶さの内側には冬に積もる雪の白さをも凌ぐ夏の純白がその時まで秘められている。 「嬉しかったよね」  美月は蕾に優しく話しかけていた。  心さざめかせる日常の波風が不思議と静かになっていく。  美月が僕と同じ生きている人ならよかったのに、とは思わない。  彼女なら何者でもいい。  だけどもし生きていた人間だったなら、僕と同じ年頃に亡くなったのだろう。  なぜ、と一瞬過ったが、詮索するのはあまりにも失礼だ。  それに今こうして過ごせればそれだけで充分。  これ以上を望むのはだめな気がする。 「僕の宝物、綺麗だろ?」 「とっても」  美月はご機嫌だった。 「きっと耀に咲いたところを見てもらいたいよ」 「楽しみだな。早く咲くといいな」  蕾から開花までは10日位らしい。  あと一週間前後ってところか。 「でもさ、一夜限りで散ってしまうだろ。悲しいな」 「咲かないまま生き永らえるよりは、例え一夜でも綺麗に咲きたいんじゃないかな」  美月の言葉にドキリとして胸が傷んだ。  僕は僕が死ぬまでに何かを成し遂げられるとは思えない。  文字通り生きているだけだ。 『役に立たないわね』 『お前に何ができるんだ』  父親と母親の声が記憶の中で交互に響く。 「耀? ……大丈夫?」  何かを察知した美月が僕の顔を心配そうに覗き込んだ。  大丈夫、と応えようにも声にならない。  すぐに気管支から口笛に似た喘鳴が起こり、それが合図だった。  酸素がうまく吸えずに座り込むと、近くにあったクッションを抱え込んでなるべく楽な姿勢を取る。 「耀、しっかり」  美月は白い顔を更に白くして背中を懸命に擦ってくれている。  温かかい。  苦しくて涙が滲むのも今日は意味が違うようだった。 「……助けるから……」  次第に美月の身体全体が淡く輝くと霧の様に薄くなって優しい香りも遠のいていく。  ――美月?  声が出せない。  ――傍にいてくれるだけでいい、どこにも行かないで  朦朧とする意識の中で呼びかけても虚しく、美月は夢の様に消え去ってしまった。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加