第四章 例の物

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第四章 例の物

 薫香商会を後にした、市蔵と下野毛章子は、其のまま横浜駅に行き、列車に乗り込み、藤沢へと向かった。  薫香商会で作った例の物を瓶に詰め、その瓶を市蔵に持たせて、 ナンタイに向かっているのだった。  下野毛章子が調合した、香水の原料を、大学の研究室で、成分分析をしながら、製品化しようと言う。 「ちょっと、聞いて良い?」 不意に下野毛章子が、市蔵に問いかけた。 「はい?何ですか。」 市蔵の返事に、躊躇わず下野毛章子は、切り出した。 「おばあちゃんが言っていた、イサと言うのは、貴方のお祖父様なのよね?」 下野毛章子は、祖母の、恐らくは昔の恋人であろう、イサと言う男性の事を、よく聞かされていたと言う。 「イサさんと言う名前は、よく聞かされていたけど、どういう男性なのかしら?」 下野毛章子の顔が、ちょっと嫉妬が混じったような、複雑な表情を浮かべていた。 「あの、おばあちゃんが心を寄せた男の人って、どんな人なのかな?」 下野毛章子は、多いに興味を持ったらしい。 「そう言えば……。」 市蔵は暫く考えて、祖父イサについて語りだした。  市蔵の祖父は、保鉄名 勇佐(モテナ ユウスケ)と言い、元々は横浜に住んでいた。 「イサと言うのは、通り名、アダ名で……。」 ユウスケと言うのが、長かったのと、仲間内に祐一と言う奴がいて、呼びが被るので、何時の間にか、「イサ」と呼ばれるように成ったらしい。 「若い頃は、近海の漁師をしていて、ソコソコ羽振りが、よかったそうです。」 祖父の話では、男振りが良くて、多いにモテたらしい。 「まあ、多分モリモリに、盛っているのだな?」 そう思いながら、市蔵達(兄弟や従兄弟)は、聞いていたらしい。 「あ、そう言えば……。」 話していく内に市蔵が、古い写真を、見せてもらった事があると、言い出した。 「昔の仲間達と、撮った写真で、確かその中に……。」 凄い美人さんがいて、その時に祖父に聞いたら、 「ああ此の女性は、李 安水と言って、俺達の憧れの的だった人だ。」 そう言っていたのを、思い出したのだ。 「そう言えば、教授のお婆様が、俺の事をイサと言っていたけど?まさか……?」 市蔵は、アングリと口を開けて、下野毛章子を見つめていた。  大学に着いた市蔵達は、そのまま下野毛章子の研究室に直行、研究室には、藤木 剛が待ち構えていた。 「藤木君、例のサンプル。解析お願いね。」 そう言って下野毛章子は、例の瓶と何かの包みを、藤木 剛に手渡した。 「休みの日に、悪いわね。」 と、下野毛章子は、藤木 剛を労った。 「教授のためなら、どうって事はありません!」 藤木は軽く、胸を叩いた。  そう言いながら、藤木はフト、下野毛章子の後ろに居た、保鉄名 市蔵に目を止めた。 「ちょうど良いや、モテナイ君、一寸手を貸してくれ。」 藤木はそう言うと、持っていた瓶と包みを机に置いて、市蔵を研究室を出て、廊下の反対側に有る機材準備室に連れていった。  その部屋には、市蔵には生涯関わりがないであろう、電子機器や実験器具の類いが、処せましと置かれていた。  藤木は、奥の壁に立て掛けてあった、台車を立ち上げた。 「コイツを研究室に運ぶから、手を貸してくれ。」 藤木はそう言うと、一台の大きな機械を指差した。  未だ新しそうなソレは、大きなモニターが付いた、真っ白の箱で、丁度銀行に置いてある、ATMの様に見えた。  その箱を二人係で持ち上げて、台車の上に乗せると、 「研究室の方へ、運んでくれ。俺は細かな機材を運ぶから。」 と、市蔵を先に研究室に戻した。  研究室の扉を開けると、下野毛教授のゼミ生である、あの女の子達が、白衣姿でイソイソと立ち回っていた。 「あっ、モテナイ君。御苦労様。お元気?」 に研究員の一人で、ショートカットの冴島薫子であった。 「あ、あの冴島さん、この機械を此処に持っていくように、藤木さんに言われたんですが…。」 市蔵が少し吃りながら、冴島薫子にそう言った。 「ああ、ガスクロね。」 そう言いながら、部屋を見渡して、 「アッチの壁の、隅の方にお願いね。」 と、奥の壁を指差した。  市蔵は言われた通りに、その機材を壁際の角に据えた。  すると、待ってました!と、ばかりに、研究員の女の子達が、素早くケーブルやらコードやらを、繋いでいく。 「この装置は、なんの機械何ですか?」 市蔵は、装置のセッティングをしている冴島薫子に、聞いてみた。 装置の液晶画面を、見入っていた冴島が、顔を市蔵の方に向け、 「コレ?ガスクロマトメーターって言ってね。気体の分子を、計測する機械なの。」 そう言うと 白衣の胸ポケットから、ピルケースを取り出した。  そのピルケースから、細長いカプセルを2個取り出し、その装置にセットした。 「其れは?」 またまた市蔵が、問い掛ける。 「此れ?此れは、サンプルのカプセル。機械がキチンと、作動しているかどうか、解るのよ。」 そう言いながら、冴島薫子は機械のモニターと、ニラメッコをしていた。 「よう、モテナイ君、此方を手伝ってくれ。」 後ろからやって来た藤木が、冴島薫子から引き剥がすように、市蔵の肩を引っ張る。  機材の設置が終わる頃に、下野毛章子がやって来た。  章子は、様々な薬品やらなんやら、いろんな物が入ったケースを、携えていた。 「さあ、例のブツを仕上げるわよ!みんな、準備は良い?」 章子は研究室に居る、全員に聞こえるように大きな声で渇を入れた。 「はい、教授!」 研究室に居た、全員。特に、女子の研究員の返事が熱い。  とは言っても、下野毛研究室は、藤木を除く全員が女子ではあるが。  ドンドン!  いきなり、研究室のドアを叩く者があった。 「はーい。」 ドアの近くに居た、研究員がドアを開けた。  其処に居たのは、柔道部の監督の月山隆衛であった。 「すいません、モテナイは居りますか?」 切羽詰まったような感じの、野太い声が、部屋いっぱいに拡がった。その声に、全員が月山に注目した。 「俺なら此処です、月山監督。」 部屋の隅にいた市蔵が、声を挙げた。 「やはり、居たか!」 月山は、下野毛研究室へズカズカ入っていって、市蔵の襟首をひっ掴んだ。 「スンマセン、こいつ貰っていきます!」 そう言うと月山は、下野毛に軽く会釈して、市蔵を引っ張って行った。  月山は無言で市蔵を、道場まで引っ張って行くと、有無を言わせず道場へと叩き込んだ!  道場の中は、同じ学年の部員達が集まっていた。 「え?何スか?」 市蔵は、キョロキョロと回りを見渡した。  戸惑っている市蔵に、 「今日は、緊急事態だ。」 月山監督は、鋭い目付きで道場内を睨みつけた。  全員が、少しビビる。
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