第五章 道場異聞

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第五章 道場異聞

 ナンタイの道場は、異様な雰囲気に包まれていた。  道場には、一年生の部員だけが呼ばれていた。 「ああ、夏前に行われる、関東大会予備選の新人戦。急遽、一週間後に行われる事となった!」 月山は、大学対抗戦関東大会の新人戦に、新入部員五名を出したいそうだ。 「今から、総当たりで試合をして貰おう。今ここに、新入部員が13人居るから、一人12試合。」 月山は暫く考えて、四人づつ試合をして、七人勝ち抜いたら、一回戦勝ち抜け。そうすると、六人残るから、試合内容を見てスタメン五人と、補欠一人を決めると言う。  全ての部員が試合をすれば、156試合。四人づつ試合をしても、36回戦。但し、七人撃破で一抜けだから、最短で一人七試合。上位六名が決まるのに、四十二試合。  十回戦半。  一年生同士の試合でも、各々其なりの高校から、入ってきた猛者達である。  かなり見応えのある、試合が繰り広げられる事になるだろう。 「全員、籤を引いたか?」 月山は、簡単な籤を作って、全員に、引かせた。  最初の組み合わせを、決めたのだ。 「では、第一試合、開始…。」 「ちょっと、お待ちになってぇ!」 月山の、試合開始の号令を打ち消すように、甲高い女性の声が飛んできた。  全員が、その声の方を見た。  道場の入口に、ショートヘアーにクルクル巻き毛の、白衣の女の子が、其処にいた。 「ああ、モテナイ君、胴着を忘れてるよ?はい、コレ!」 「あ、冴島さん。」 さっきまで研究室にいた、冴島薫子が、胴着を抱えて、其処にいた。 「え?でも、胴着なら…。」 胴着なら着ている、そう言い掛けて、 「良いから、良いから、此方の方を着て、ね?」 そう囁くと冴島薫子は、抱えていた胴着を、市蔵に押し付けた。 「監督、ちょっと失礼します。」 市蔵はそう言って、胴着を着替えた。  ちょっと、良い香りがした。 「じゃあ、頑張ってね!」 冴島薫子は、市蔵の着ていた方の胴着を引ったくる様にかかえて、道場を出ていった。  冴島薫子が出ていった後、道場内は異様な空気が、渦巻き始めた。  全員が、異様に熱い視線を、保鉄名市蔵に向けていた。 「じゃあ改めて、試合開始!」 月山の号令が、轟いた。  異様に熱い空気が、道場を支配していた。  道場にいた全員が、市蔵に憎悪にも似た視線を、投げ掛けていた。全員の、市蔵にかける視線が、異様に熱い。  着々と試合は、消化されていった。市蔵の第一試合は、同じ階級の一年。  組んだ途端に、電光石火の小股掬い。倒れ混んだ相手に、市蔵は空かさず、縦四方固め。  ところが相手は、下からの肩襟締めを仕掛けてきた。  更に、市蔵の一瞬の隙を衝いて、足技による胴固め。  此処で相手が、体をネジって締め技に出てきた。  送り襟締めである。  相手の力が、異様に強い! 「ぐおおおぉぉ!」 市蔵は、気合いを溜めた。 「でりゃあぁぁ!」 気合い一閃、市蔵は仰向けの体制から、ブリッジで相手を放り投げた。  すぐさま立ち上がり、相手と対峙する。相手の目が赤く血走っている。 「うおいさぁ!」 気合いを入れ直し、相手との間合いを探る。  相手との距離が、触れるか否か、その刹那、 「でりゃあぁぁ!」 市蔵の右腕が、相手の左襟に飛ぶ。そのまま、吊り手だけで相手を担ぎ上げ、投げ飛ばした! 「一本!それまで!」 審判役の生徒が、判定を下した。  保鉄名市蔵、一回戦突破。 「後、六勝か。」 肩で息をしながら、市蔵は呟いた。  息つく暇なく、試合は進行していく。  差程広くもない道場の、あちら此方で、ドッタンバッタン試合が続いている。  面白いことに、市蔵の相手は、どいつもこいつも、喧嘩腰で市蔵に向かってくる。  まあ、しょうがない。  試合前に、綺麗なお姉さんに、ベタベタされたところを見せられては、嫉妬の一つも起きるのも仕方がない。  高校で、柔道三昧だった多くの部員達は、女性とお付き合いした経験なぞ、皆無では無かろうか?  兎に角、喧嘩腰で挑んで来る相手ほど、扱いやすい相手はいない。其よりも市蔵は、自分が異様に冷静なのに、違和感を感じていた。  市蔵は、決して冷静沈着なタイプではない。  寧ろ、熱くなりやすい方だ。  しかも、悪のりする。  なのに今は、至極冷静で、相手の一挙手一投足をしっかりと観察出来るくらい、冷静である。  まるで、頭のなかに氷でも入れられたかの様だ。  そうこうしている内に、試合は着々と消化されていった。  市蔵は此処まで、無敗の六連勝、後一勝で一抜けである。  七人目の相手は、今年の一年生ピカ一の傑物。地元の高校で、三年間キッチリと実積を積んで、全国大会でその名を轟かせた。その男の名は、東丸光一。  実は市蔵は高校時代、何度となくその男と戦い、悉く敗れているのだ。言うなれば、因縁の対決である。 「はじめ!」 月山の掛け声で、両者、市蔵と東丸は、お互いの間合いを探りながら、相対した。  ジリッジリッと、詰め寄り、お互いの、必殺の間合いが重なったその刹那、信じられない事が起きたのであった。 「ぐおおおぉぉ!」 東丸が、市蔵の奥襟を掴んだ!と、思いきや、襟を掴んだ手とは反対の手で、市蔵の横っ面を殴り付けたのだ‼️  反対側の襟を掴もうとして、手が当たったとは思えない、腰の入ったパンチが、市蔵の顔面に炸裂した。 「ぐおぉっ!」 市蔵は鼻血を吹いて、畳に横たわった。 「待て!何をやっている東丸!」 監督の月山が、試合を止め、市蔵と東丸の間に、割って入った。  ハァ、ハァと東丸は、肩で息をして呆然としている。 「え?あれ?」 暫くして、正気に戻ったのか、辺りをキョロキョロと、見渡している。  相変わらず市蔵は、畳の上で伸びている。 「しょうがねえ、モテナイを隅に転がして、試合続行!」 と、声を掛けた。 「それから、東丸は失格な!」 そんな…、と、言い掛けた東丸をジロリと睨み付けて、 「では、試合開始!」 月山の号令一過、残りの部員達はさっさと残りの試合を、消化していった。  その様子を、道場の外から、小型のビデオカメラで撮影していたものがいた。  冴島薫子であった。  その冴島が、何処かに電話をしている。 「…、アッ教授?データ採取完了です。モテナイ君は、何か気絶したようで、あっ?はい、此のまま戻ります。」 そう言うと冴島薫子は、そそくさとその場を立ち去った。  
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