第六章 お祭りの下準備

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第六章 お祭りの下準備

 保鉄名 市蔵は、妙に生々しい夢を見ていた。  全身を、得たいの知れない触手のような、クネクネとしたものが這い回り、身体中を撫で回している。  特に股間を、弄り倒している。  そしてその触手は、妙に暖かく、嫌な感じは全然しなかった。 「あ、くっ!」 猛烈な快感が、市蔵の全身を襲った。ありとあらゆる感覚の波が、市蔵の股間の一点に集中した。 「あー…。」 凄まじい放出感と、なんとも言いがたい喪失感が、市蔵の全身を覆う。  暫しの安逸の後、 「はっ!」 市蔵は目を覚ました。  上半身を無理矢理起こし、辺りの状況を伺った。  見知らぬ部屋のなかに、市蔵は寝かされていた。 「ああ、良かった。やっと起きたのね?」 市蔵の真横に引かれている、白いカーテンの向こうから、嫋やかな女性の声が、市蔵を労っている。  すぐにカーテンが開かれて、白衣に身を包んだ、妙齢の婦人が現れた。 「此処は?」 市蔵の問いに、 「学校の医務室よ、柔道部の子達が、二人がかりで、貴方を担いで来たのよ。」 そう言うとその女性は、市蔵が寝ているベッドに腰をおろした。 「貴女は?」 市蔵はちょっと、ドギマギしながら、その女性に名前を尋ねた。 「ああ、ご免なさい。私は、遊佐礼子。此処の責任者兼、カウンセラーよ!」 その女性は、そう答えた。  市蔵はマジマジと、遊佐礼子と名乗るその女性を見た。  年の頃、30手前。所謂アラサー。黒髪をアップにして、白衣から覗く首筋が、妙に艶かしい。  市蔵は数瞬見惚れていたが、さっきの感覚を思い出した。 「まさか此の人が、さっきの…。」 そう思い出して、顔が真っ赤になっていくのを感じていた。 「貴方、保鉄名 市蔵くんよね?」 遊佐礼子は、市蔵の名を確認してきた。 「はい!」 ちょっと緊張しながら、市蔵は答えた。 「章子先輩から、頼まれていた事があって…。」 遊佐礼子はそう言いながら、手にしていたファイルを捲り、 「2~3質問するけど、良いかしら?」 そう言ってきた。 「お邪魔します!」 遊佐礼子が、質問をしようとしたその時、医務室のドアの向こうで、誰かが声をかけてきた。 ガチャ! 医務室のドアが開き、道着姿の厳つい男が入ってきた。 「あ、東丸!」 ベッドの上の市蔵が、その男の名前を呼んだ。 「おう、モテナイ。大丈夫か?」 東丸光一が、ひきつった様な笑顔を市蔵にむけている。 「大丈夫かもないだろ?人を張り倒しおいて!」 市蔵は、わざとらしく顔を擦る。 「御免よ、業とじゃないんだ。」 東丸は、笑顔で答えてはいるが、何処と無く、オドオドしているように見えた。 「丁度善かった。」 遊佐礼子が、二人の中に割って入った。 「貴方、東丸光一君よね?」 不意に呼び掛けられ、東丸は戸惑った。パッと見ちょっと年上だが、かなりの美人さん。  異性関係に縁のない、柔道部の一年には、眩しい存在だ。 「あ、ごめんね。私は遊佐礼子。此の部屋の責任者よ。」 そう言うと、下野毛章子教授の依頼で、さっきの試合の全員にアンケートを取ってくる。 「それでは、さっきの試合で、気になった事は?」 遊佐礼子は、良くわからない質問を、してきた。  同じ頃、柔道部の道場でも、下野毛章子率いる、既知感覚調査チームが、柔道部の一年相手に、同じような質問をしていた。  曰く、 「先程の試合で、変に感じた事はないか?」 「先程の試合で、奇妙な感覚のブレは、なかったか?」 「先程の試合で、奇妙な感情の変化はなかったか?」 主に此の三点を、聴いて回っていた。 柔道部員達は、普段は話すことの無いお姉さん達の、積極的な質問攻勢にシドロモドロになりながらも、キチンと答えていた。  一方、医務室の市蔵と東丸も、同じような質問に答えていた。 「質問は此だけね!保鉄名君は、まだ寝ていなさい。東丸君、保鉄名君をちょっと見てて…。」 遊佐礼子はそう言うと、医務室を出ていった。  「それはそうと、東丸。試合はあれからどうなった!」 市蔵はマジマジと、東丸を見た。 「俺は反則で、失格。お前は、途中リタイヤ!」 「そうじゃなくて、新人戦出場の六人は?」 市蔵はイラつきながら、試合に出場出来る六人の内訳話すように促した。 「大方の予想通り、足立、円山、吉田、斉藤、北、其れに補欠要員の高坂を加えた六人が選出された!」 何故か、自慢と嫉妬が入り交じった表情で、東丸が語った。 「俺は、全員に勝っているんだけどな…。」 市蔵は、ポツリと呟いた。  少し間があって、 「そう言えば、知っているかモテナイ。来月の事なんだけど…。」 「え?何?」 東丸が、不意に市蔵に語りかける。 「来月、此処の学生会主体で、近隣の大学を巻き込んで、大規模のダンスパーティーが、開催されるらしいぞ?」 「他校と合同の、ダンスパーティー?そんな行事があるのか?」 市蔵らしい、ちょっと間の抜けた質問が反って来た。 「ああ、年々各校持ち回りの、ダンスパーティーで、今年は本校の学生会の主宰なんだと。」 其処まで言って、東丸は市蔵の顔をマジマジと、見つめた。 「よう、モテナイ。ダンスパーティーに参加しないか?」 「え?俺とお前が?ペアで?」 「バカ言ってんなよ!まあ、普通ダンスパーティーは、男女同伴が原則らしいけど、此のパーティーは、男女の出合いが目的らしいから、学生であれば一個人での参加もOKらしい。其れに…。」 東丸は、ちょっと気合いを入れて、 「此のパーティーには、下野毛章子教授も、参加するらしい。」 其れが目的のように、東丸の顔は紅潮していた。 「来月と言えば、夏休み直前。前期の試験があるな。」 市蔵が難しい顔で、東丸を見る。 「なに、前期の試験は、そんなに大した問題じゃない。其れよりも、大きな問題は…。」 東丸が、深刻な顔で市蔵を見つめる、 「パーティーに着ていく、服がないってことだ!」 東丸が、自信満々で宣言した! 其れを聞いた市蔵は、ベッドに身を横たえて、 「俺もだ!」 そうボヤいた。  結局、新人戦には市蔵も、東丸も参加できなくて、そのまま前期の授業も終了してしまった。  東丸が言った通り、前期の試験はそんなに大変ではなかった。  そんなことより、夏休み前の一大イベントが待ち構えていた。  参加する大学五校、参加人数実に千人超のダンスパーティー、 「ダンス・オーバー・ザ・カレッジ イン フジサワ」 そうタイトルが、付いたパーティーが待っていた。  パーティーに参加する者にとっては、待ち遠しさしきりである。  学生会側は、大忙しの1ヶ月だったらしい。一年生である市蔵達には解らなかったが、学生会の主役である3・4年生には、毎日のように会議会議の連日だったと言う。  「モテナイ、服を買いにいくぞ!」 ダンスパーティーの3日前、東丸は市蔵を誘い、横浜は元町にある、ある店に行くこととなった。  市蔵達一年は、普段は、学生服かジャージである。  たまに、町に出掛けるときも、ジーパンとTシャツのラフな格好である。  パーティーに出席する為の、フォーマルなジャケット等、持っている筈もない。 「服を買いに行くったって、金なんか無いぞ?」 市蔵は、「なに言ってんだ?」と言う感じで、東丸を見た。  だが東丸は、力一杯の笑顔を作り、 「良いから、俺に任せろ!」 と言って、町に繰り出すのだった。  市蔵と東丸は、横浜は元町へと繰り出した。  二人とも、学生服での外出である。二人とも大学生で、特に外出時の制約が、有るわけではない。  学生服で行こうと言ったのは、東丸の提案であった。 「普通、フォーマルな服を手に入れる時は、金があれば、テーラー。そうでない場合…。」 元町の街中を歩きながら、東丸は、今行く目的の店について、トクトクと話し出した。 「金の無い場合は、こう言う店を利用するのだ!」  東丸が指差したのは、一軒の古着屋であった。 「爺さん、居るかい?俺だ、光一だよ?頼んでいた服が、届いているかい?」 そう言いがら、店のなかに入って行く。 「ああ、コウちゃん?お爺ちゃんは用事があって出掛けちゃっててね。注文の品は、届いているわよ?」 若い女性の声が、店の奥から聞こえてきた。  東丸の表情が、一瞬輝いたように見えた。 「あっ、のり子姉さん!」 東丸の声が、弾んでいる。  店の奥の方から、質素な感じの、年の頃二十歳前後の、美人さんが出てきた。 「あら、こちらは?」 その、のり子と呼ばれた女性は、市蔵を見詰めて、ニコリと笑った。 「あ、コイツは同級生の、保鉄名市蔵。通称モテナイ。」 その紹介の仕方に、「それは、無いだろう!」って、つっこもうとしたら、 「まあ、モテナさんと言うの?此れからもコウちゃんをヨロシクね?」 と、会釈をされて、なんだか鼻の下が長くなる市蔵であった。   元町で、パーティー用のジャケットを受けとると、市蔵達はそのまま藤沢へと引き返した。 「なんだよ、何ニヤニヤしてんだよ!」 東丸が、藤沢に向かう電車のなかで、妙にニヤつく市蔵に文句を言う。 「イヤイヤ、中々の美人さんじゃあないの?」 もう、あからさまにニヤついて、 「どういうご関係で?」 と、市蔵が冷やかした。 「何でもねえよ、単なる従姉妹だよ!」 と、ブッキラボウに吐き捨てる。 「へえー、単なる従姉妹ねえ?」 益々ニヤついて、 「本当は、どうなのよ?」 と、市蔵が混ぜっ返す。 「てめえ、コノヤロ!これ以上ホザキやがると、此のジャケットは、ヤらんぞ!」 と、持っていた紙袋を、電車の窓から投げ捨てようとする。 「わかった、解ったよ。謝るから、勘弁して!」 そう市蔵は、東丸に頭を下げた。  藤沢の、学生寮に戻った市蔵は、部屋でジャケットを広げてみた。濃い目のブラウンの、タキシード風ジャケット。  一見地味だが、最近ブラウン系の装いは、人気の傾向に有る、らしい。  明るいところで見れば、ブラウンと認識できるが、ちょっと暗いと、ダークな色合いが増して、ちょい悪な感じが醸されていく。  パンツは、学生服の奴を流用して、靴はスリップオンタイプ、いわゆるドクターシューズ。量販店で一足1980円で売っている物だ。  それでも、合わしたて見れば、中々イケている出で立ちに成っている。  しかし悲しいかな、二人とも坊主ックリで、丸顔。ダンゴッ鼻で、柔道耳。  モテる要素が、何一つ無い。  鏡の前で、溜め息の出し放題であった! 「あ、そう言えば!」 意気なり、市蔵が口を開く。 「何?どうしたよ?」 東丸が、市蔵を見る。「なんだ?コイツ」てな感じで。 「この前、下野毛教授の研究室に、行ったときに…。」 市蔵がこの前、下野毛教授の研究室に、手伝いに行ったときに、媚薬の研究もしている、との話を聞いたのを思い出したのだ。 「え?なに?媚薬?」 東丸は、キョトンとした。 「もしかしたら、大変な物が、手に入るかもしれない!」 そう言って市蔵は、スマホを取り出し、電話を掛けるのだった。 「…、あ、藤木さんですか?市蔵です。ちょっと良いですか?この前の話…、そう、はい、はい、解りました、今から行きます。」 市蔵はスマホを仕舞うと、東丸を伴って、大学の研究棟に向かったのであった。  大学の研究棟の、一番奥にある、下野毛研究室。その更に奥にあるのが、藤木 剛が住み込んでいると噂の、別名奥の院である。 「藤木さん、市蔵です。」 市蔵達は、その部屋の戸を開けた。 の中は薄暗く、男が一人、パソコンとニラメッコをしていた。 「藤木さん?」 藤木と呼ばれたその男は、ユックリと立ち上がると、入り口の扉を見た。  ちょっと陰気そうな顔を、無理やり笑顔にして、市蔵達を向かいいれた。 「やあ、いらっしゃい。」 陰気な笑顔で、市蔵達を向かいいれる藤木、 「パーティーに、こんなものは必要ないと思うんだが…。」 そう言いながら藤木は、市販されている栄養剤の小瓶を、市蔵に手渡した。 「コイツはまだ、試作品段階だが、ソコソコの効果は、保証するよ。」 「じゃあ藤木さん、此れがこの間話した、例の…。」 そう言いながら、市蔵は何やら封筒を手渡した。 「言い忘れたが、ソイツはココゾって時に、使うんだぜ?」 「ありがとうございます。」 市蔵達は礼を言うと、研究棟を出ていこうとした。 「ああ、もうひとつ。」 研究棟を、出ていこうとした市蔵を呼び止めて、 「ソイツを使った、レポートも頼むぜ?」 藤木は、そう言った。
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