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契約書に判子を頂き、契約終了。
ほんの10分ほどんであったが、ご老人の体力は著しく消耗したようだ。
咳込みながら、タバコを延々と吸う、その姿は死神に取り憑かれた者と同じ。そっちの方は専門外だが、それで無くとも、彼の死期が目の前にある事は分かる。
何か、言おうとしたが遺影の方を向いて、黙り込む老人。
濁った呼吸でため息を吐く。
「ところで奥様は?」
気を使ったフリをして尋ねた。
「死んだよ、先々月だった。そこの窓から飛び降りて」
半分笑ったような顔で、また咳込んだ。
知ってはいたが、聞いてみた。
時々、煙に混ざって影のような物が部屋の中を漂っている。それが彼女の名残である事は察しが付く。既に自らが何者であったか忘れ、ただ習慣的に部屋の中で見えない家事をこなす。
こう言っては何だが、笑える。そこに居る事すら認識されない妻と、忘れ去られた老人。笑いを堪えて、残りの麦茶を飲んだ。
その後、特に会話も無く、作業に取り掛かる旨を伝え、ヤニ臭い部屋を出た。
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