第3章

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 佐木から五分ほど遅れて、百瀬は現場に戻った。佐木の隣に並んで貴島の演技を見つめる。当たり前だが貴島は本当に演技が上手かった。声音や仕草だけじゃない、纏う雰囲気も役によってまったく違って見えた。  百瀬はもう演じる側ではない。ここから眺める光景に過去の自分を重ねて傷付く時間はもう充分過ぎるくらい消費した。今はこの場所に立って、どうすれば自分が担当するタレントがより輝けるか、魅力を引き出すことができるかを考えるのが、自分に与えられた仕事だ。  撮影を終え、スタジオを出る時、運悪く沼田に見つかり声を掛けられた。どうすれば適当に切り抜けられるだろうかと百瀬が頭を悩ます前に、タイミングよく佐木が呼んでくれて、自然にかわすことができた。  駐車場で車に乗り込む直前、百瀬は佐木に呼び止められた。佐木はじっと百瀬の瞳を見つめたあと、控え目の笑顔で何かを差し出す。 「もう、大丈夫ですね」  それは車の鍵だった。手のひらに載ったわずかな重みに佐木の信頼を感じて、胸の中に喜びと使命感が広がる。 (できることから、一つずつやってみよう) 素直にそう思えた。  佐木の、貴島の、そして九鬼の信頼が自分は欲しい。今度こそ逃げ去る足を止めてちゃんと立ち向かいたい。  TV局を出て次の現場へ向かう間、百瀬は安全運転を心掛けた。
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