第3章

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 八階の突き当たり、この扉の向こうに九鬼がいる。百瀬は三度深呼吸をして、部屋のインターホンを押した。十秒ほどして扉が開かれ、九鬼が顔を見せた。あからさまに迷惑そうな表情に怯みそうになる。 「あのさ。こんな夜中に突然訪ねてきて迷惑とか考えないの?」  容赦なく浴びせられる言葉が百瀬を打つ。 「……すみません」  か細い声で答え、小さくなる。時刻はすでに二十四時を回っている。九鬼の言い分ももっともだ。だけど、後回しにすればするほど、湧き上がったばかりの決意が萎んでしまいそうで、こうして思い立ったその日に勢いで来てしまった。本当はもっと早い時刻に来たかったが、これでも仕事が終わったその足で駆けつけた。 「ま、連絡しようにも連絡先知らないもんねぇ。佐木くんやら貴島くんに訊くのも不自然だし」  九鬼は扉を開けたまま部屋の奥へと歩いていく。 (入っていい、ってことだよな?) 百瀬は九鬼のあとに続いて、恐るおそる室内に足を踏み入れた。 「それで? これ、取りに来ただけじゃないんでしょ?」  リビングに着くと、九鬼はソファに置いてあったネクタイを拾いあげた。それは昨夜百瀬が着けていたものだ。帰宅中にないことに気付いていたが、あるとしたら当然この部屋だろうとは思っていた。  百瀬はそれに返事はせず、九鬼に向き直った。真正面に立つと、緊張や恐怖心がどっと押し寄せてくる。だけど逃げたくなかった。今度こそ、逃げずに自分のすべてをありのままぶつけると決めて、ここに来た。
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