第4章

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第4章

初週の勢いを残したまま『白亞の欠片』は公開二週目に入った。年齢制限がある為メジャーな映画賞の獲得は難しいと思われていたが、それもわからなくなってくるほどの動員数と観客の反応だった。賞賛の言葉と興奮のレビューがネットで瞬く間にあふれ、客が客を呼ぶ。九鬼はここまで予測して宣伝活動を控えるように指示していたのだろうか? そう思うと百瀬は、余計に九鬼という男が怖くなった。  百瀬は、再就職してから二度目の休日に『白亞の欠片』を観る為に映画館に足を運んだ。貴島のスケジュールに関係なく、研修期間中は週に一、二度休みを貰うことになっている。その日ももちろん貴島と佐木は働いているので、自分だけが休むのは気が引けたが、今は正直その休みがありがたかった。早くこの映画を観たくて堪らなかったからだ。 午前中の上映にもかかわらず、館内は満席だった。   『白亞の欠片』は戦後の日本が舞台だ。貴島が演じる高校教師の美山が、人生で初めて心を奪われる対象に出会い、それを喪うまでを描いた物語。スクリーンに映し出される美山は、いつも見ている貴島とまるで別人だった。表情や視線、台詞の緩急や間の取り方。小さな仕草の一つから美山が抱く己に対する絶望や虚無感が伝わってくる。七原悠が演じる伊織との情交シーンは、その間中思わず息を止めるほど妖艶だった。少しずつ伊織に捕らわれていく美山に胸がざわめき、激情に駆られて罪を犯してしまう場面では心臓がバクバクと音を立てていた。美山が涙を流すラストシーンは、思わずもらい泣きしてしまった。普段なら、人前で泣くのは恥ずかしくて慌てて涙を拭うところだが、そんなことが気にならなかった。エンドロールの間、百瀬は頬を流れる雫もそのままに、作品の余韻に浸っていた。一番最後、『九鬼将臣』の文字が現れてから消えるまでは、瞬きせずに見守った。
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