積乱雲の向こう

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バスに乗って、半時間ほど。池の淵で降りれば、そこは見たことのない団地だった。団地といっても、大きなマンションが軒を並べているのではなく、二階建ての小さな集合住宅がいくつも密集しているところだった。僕は彼女に手を引かれて、団地の中を歩いていた。今思えば、ひどく不用心だったろう。彼女は、前を虚ろな目で歩くが、僕の方を見るときは柔らかな微笑みを露わにした。 相変わらず、蝉が鳴き、雲が小高くそびえる。 「ついたよ」 彼女は一つの家の前で立ち止まった。他の建物と変わらない、二階建ての集合住宅の一つで、小さな玄関があるだけだった。表札には苗字があったが、もうそれは思い出せない。 「入って大丈夫よ」 彼女に言われるまま上がると、小さな玄関の奥に、カーテンが締め切って暗い居間があった。あとは小さなトイレと浴室。二階に上がる階段は、居間の右奥にあった。 彼女は僕の手を引くと、居間を通り越して、階段を上った。 「この部屋よ」 二階のドアを開くと、そこは子供部屋のようだった。小さな学習机とテーブル、本棚、あとベッドが置いてあった。 それよりも、壁一面に貼られた、雲の写真だった。 そのどれも青空を背景に、今にも天に伸びんとする積乱雲を写していた。角度や大きさが違うものの、壁のいたるところに貼られている。まるで部屋の中に、無理に青空と雲を作り出そうとしているようだった。 僕がたじろいでいると、彼女はどこからともなくジュースと菓子を持ってきた。 「さあ、ゆっくりしていって」 僕は部屋の真ん中にある小さなテーブルの端に座って、ジュースを飲んだ。部屋の中は、扇風機やクーラーもないものの涼しかった。
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