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「智史さんったらひどいわ。わたくしというものがありながら、結婚してしまうだなんて。ひどい、本当にひどいわ。たしかに、わたくしは夏しかここへ来られない制約ですけれども、正式に婚約いただければ、毎晩きちんと美味しいお鍋とともに帰りをお待ちすることが出来たのに。ひどいわ!でも今までのみんなそうだったのよね。光一さんも、俊彦さんも、近衛信さんだってそう。みんな、みんな……」
まくし立てるようにそこまでを早口に言ってから、雪女は顔を覆って、わっと泣き始めた。また冷たい風がぴゅうぴゅうと吹き始め、雪が混じるので、千景はクーラーの電源を切った。
「とりあえずどうぞ」
「……えーん、ありがとう」
千景に差し出された麦茶を貰い、雪女はごくごくと飲んだ。それからふっと息を吐けば、氷のかけらがきらきらと舞う。
「……あ、改めてはじめまして。わたくしは、たぶん数百年前に、この後藤家のご先祖を好きになり、そのまま後藤家の子々末孫までをとにかく好きになっては毎回振られている雪女です」
「……で、兄貴にも振られたって?」
雪女はぐすんっと声を上げてから「そういうことみたいです……」としょんぼりしたように肩を落として言った。
「それは残念だったね。僕は後藤千景。智史の弟だよ」
「……智史さんに弟がいるなんて、わたくし初耳です。わたくしが来たとき、千景さんはいつもいらっしゃらないみたいでしたけど……」
雪女がおずおずと言えば、千景はバツ悪そうに頬を掻いて、ふいと視線を逸らした。
「あ、あんまり兄貴と仲良くないからさ。三年前ぐらいから留学してて、その前も夏はサマーキャンプとかそういうのに言ってたんだよ」
「そ、そうだったのですね。すいません……」
「いや、別に」
「わたくしも、村の方に未だ禍根を残されていますゆえ、そういうのわかりますもの……」
「それとはちょっと規模が違うと思うけど……。まあいいや。ところで、今年はもう帰る感じ?」
「……へ?」
「だって、お目当ての兄貴がいないんだから」
「そ、それは」
雪女は肩を落とし、俯いてしまった。さらりと流れる黒の髪の隙間から、青白い肌が見える。千景はガラスコップを片手に、眉根を寄せて彼女を見つめた。外から、ミィンミィンと蝉の音が聞こえる。
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