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 修一は中学時代から抜きん出て優秀な競泳選手だったが、大学時代に肩と肘を壊したのをきっかけにあっさりと引退してしまい、その後は趣味の範囲に留めている。  本人は競技人生にまるで未練がないようだが、修一のダイナミックかつ美しい泳ぎが好きだった美紗緒は、ひどく残念に思ったものだ。  修一が引退した時、一度だけ明良から電話があった。修一の怪我の具合や、引退した修一の様子などを、明良は遠慮がちに尋ねたが、当の修一よりもよほど心を痛めているのが判った。その真摯な愛情がひどく疎ましくて、美紗緒はそっけない口調で、自分で訊いたらどうだと突き放した。  すると明良は気弱な声で、自分は嫌われているからと告げた。明良は本気でそう思っているようだったが、美紗緒には真逆に思えた。  修一は昔から極めて冷静で、感情を制御することに長けていた。美紗緒はそれが修一の生来の性格なのだろうと思っていた。  だが大学進学のために上京してきた修一と再会したとき、彼はひどく鬱屈した表情をするようになっていた。   平素はそれまでと変わらず穏やかな様子を見せていたが、時折盗み見る彼の横顔は、触れると切れそうなほどの緊張を孕んでいて、声をかけることすらためらわれたほどだ。  それは彼が本来持つ怖いほどの激情を如実に表しており、美紗緒は普段の彼の冷静さは、強い忍耐力で勝ち得た表向きの顔なのだと初めて気付いた。
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