0人が本棚に入れています
本棚に追加
椋薫が死んだ。
その知らせを聞いて僕は指定された大きなカフェに行った。僕を呼び出した椋薫の上司は外のテーブルで手を振った。店内には席がなかったのだろう。何人か殺した夏の日差しを直に浴びる羽目になった。僕はたたんでいた日傘を広げた。幾分ましになったが、汗が止まることはなかった。凄まじい熱気と湿気で舗装された大通りは揺れて見えた。
「事故だった。彼女に非はなかったよ」
「そうですか」
僕はそれだけ言った。実感がなかった。だからといって遺体を見たいとは思わなかった。そのままの方がいい気がした。唐突にやってきて唐突に消える。椋薫らしい。
「それで、その」
上司はぼそぼそと言った。
「わかってます。デビューの話はなくなったんですね」
僕は先回りした。
「申し訳ない。私としては」
「いや、いいです。さよなら」
椋薫がこの世にいない実感は未だに湧いていないが、僕がメジャーデビューできないことは連絡を受けてからすぐにはっきりと実感できていた。あのひとがいなくなれば僕はメジャーデビューはできない。僕の歌を気にいっていたのはあの人だけだったから。
「待って。告別式は」
「出ません」
「メジャーデビューの件はあれだけど、せめて葬式ぐらいは」
「しつけえな」
僕は立ち上がった。これ以上、あのひとと僕のあいだに入って欲しくなかった。地面に落ちたセミを蹴転がして僕は歩き出した。
最初のコメントを投稿しよう!