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「う、ん」
だから彼は頷くだけだった。
恐らく彼女が満足いく態度ではなかったと思う。彼女はしっかりと彼の口から言葉で聴きたかったのだと思う。そうとわかっていながら、それでも口にすることはできなかった。だからその代わりに、彼は身体の動きをより激しく、より力強くした。気持ちよくなるためではなく、言葉で伝えられない本心をその身に刻み込もうとするかのように。
その気持ちが伝わったのか、徐(おもむろ)に彼女は腕を伸ばし、藍田の首に絡めてきた。彼は引き寄せられるかのように、顔を彼女の顔の傍に下ろした。彼女の蕩けた甘い吐息が藍田の耳を舐める。
「悠……ゆう……」
耳許のすぐ傍で、藍田の名前を囁いている。聴き慣れた声であるはずなのに、いま初めてそれを耳にしたかのように錯覚した。同時に、彼の中で衝動めいたものが迸った。切なくて痛々しいけれど温かみを感じる。これは、愛情――だろうか。
幸福に満ち足りたいまこの瞬間が、まるで世界から別次元へ切り離されてしまった気がする。身体で感じ、頭で思考でき得る概念そのものがとうに乖離されていた。いま二人はただ共にあるということだけの事実そのものさえ感じられていられれば、ただそれだけですべては事足りていた。それ以外はもう必要ではないのだ。時も、意味も、思考も、命でさえ。
何があろうとも、彼女は藍田の愛する人だった。
この二人だけの空間が、二人だけの時間が、永遠に続けばいいのに。
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