優しい世界に魅せられて

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 冗談のようにうーん、と軽く悩んでいた母は、だけど俺がよほど真剣な顔をしていたのか、ふと表情を引き締めると、改めて口元を綻ばせた。  母親ではない、女性的な、それだった。 「そりゃあ、昔はね。憧れてたかもしれないけど。今はほら、あなたたちもいるし。……何より、もうお父さんと出会っちゃったんだもの。あなたが言う、優しい世界に、私はもう、いると思うのよね」  軽やかな声と照れ臭そうな笑みを嘘だと片付けることは、俺には出来なかった。  俺が恨んで、憎んで、苛立って仕方のない父のことも、母の中では何も変わっていないのだと、はっきり突きつけられた現実。  母の王子様になりたかったといえば、少し語弊がある。だけど簡単にいえばそういうことで、多分、父から母を守りたかったんだ。守れるのは、自分だけだと思っていた。  必要とされていないとも、知らずに。 「……っ、もー! 恥ずかしいこと言っちゃったじゃない! 変なこと聞かないでよ」  隠すように赤らんだ頬へ手を添える母の指先から、色付いた小さな耳が覗く。クラスにいる女子と変わらないその様は、全てが本心であることを物語っているような気がした。
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