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千晃は目的地に近づくと、一度足を止めた。これまでの仕事の憂鬱をリセットするように大きく息を吸って吐き出す。不興気に寄った眉間のしわを伸ばして、心持ち口角を上げる。それからステラ保育園のガラス扉を引いた。
「こんばんはー、森住ですけど」
玄関先で帰り支度をする親子連れの間から、奥に向かって呼びかけた。髪を高い位置で二つに結んだ女の子が、千晃のもとに駆けてきた。勢いのままに太腿に両腕を回されて、千晃はよろめいた。先月三歳になったばかりの娘、心暖だ。
「お待たせ」
千晃は小さな頭の上に手のひらを下ろす。寂しかったのか、心暖はもう離れたくないと訴えるように、腕に力を入れている。
父子家庭ということもあり、一歳になる前から保育園に預けているから慣れっこのはずだが、自我をもつほどに、慣れるどころか寂しがるようになってしまった。千晃がされるがままにしていると、背中に落ち着いた女性の声がかかった。
「あの、心暖ちゃんのお父さんですか?」
「はい」
千晃は振り返った。
「心暖ちゃんがうちの拓斗とたくさん遊んでくれたみたいで」
ありがとうございました、これからもよろしくお願いします、と男の子の手を引いた三十代半ばくらいの母親が親しげなようすで笑いかけてきた。
話を聞けばどうやらこの女性の息子はステラ保育園に入園したばかりのようだ。
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