リングサイドブルー

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8  家に帰りたいと駄々をこねる心暖を早々に引き取りに行き、駅前のスーパーに寄ってから帰宅する。出向を受け入れたときから覚悟はしていたはずだったが、この生活があと何ヶ月続くのかと先を考えると、挫けそうになる。  心暖はこれまで、聞き分けのよい子どものはずだった。それが、母親に迎えにいってもらうようになってから一転、なぜあれもこれも嫌だと言い始めるようになった。勉強する時間を確保するために、仕事以外でもタイムスケジュールを組んでいるのだが、まるで思うようにいかない。  心暖もストレスが溜まっているのだ。そうは思うが、自宅に連れて帰ってきてからも、着替え、風呂、やることすべてを全力で拒絶されると、PCに向き合える時間がなくなってしまうのが現実だ。  厳しく叱り付けてしまい、愛情がなくなったから急に迎えに来なくなったのではないかと、不安にさせてしまうことの方が怖い。どんなことがあっても自分を愛してくれている、それを当たり前のように信じてくれているからこそ、わがままも言えるのだ。 「心暖、まだ寝ないの?」 「ねなーい」千晃のひざの上に頭を乗せて、心暖は絵本を眺めている。 「ほんとは眠いんじゃないの」 「まだねむくないよ」そう言い返す心暖の瞼は今にもくっつきそうだ。  千晃は絵本を覗きこんだ。母親と一緒に図書館で借りてきたというその絵本は、うさぎの家族の物語だ。石造りの家、木のテーブルの上には出来立ての食事が並び、夕飯の時間を一家で共有している。  絵本のやさしい世界は、時に残酷だ。母親がいて、父親がいて当たり前のように一緒に食事をする家庭を『普通』として描くから。
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