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そんな先輩が、唐突に僕に質問を投げかけた。
「なあ、君はエスケープしたことあるか?」
「は?」
一瞬、間の抜けた声を上げてしまった。酔いがあっても、先輩相手に「は?」はないだろうと思う。それも飲み物を奢ってもらった上で。
だが先輩は気にせずに「俺はある」と続けた。特に、僕からの答えを聞きたかったわけではないようだった。
そう言うと先輩は、不良座りをして、缶コーヒーを口に付けた。
「こんな感じの、妙に清々しい夜だったな。貴重品だけ身に着けて、バイクにまたがって当てもなく夜の国道を走ったんだよな」
先輩の言ったエスケープとは、文字通り「逃げた」ということらしかった。後で聞いてみると、自分の都合で逃げたいときに逃げることを、先輩が勝手にエスケープと呼んでいるらしかった。理由は「その方が様になっている感じがするから」だそうだ。
先輩が話してから、しばらく間が開いた。僕は2人きりの時の沈黙は苦手だ。だからこういう時はいつも、会話を繋ごうとする。
「自分の生活が、嫌だったんですか?」
まずは、その人の話に被せるような質問をする。
先輩は「いや」と一言答えた。
「別に、生活は悪くはなかった。あの頃も今も、実家暮らしだけど、別に親と仲が悪かったわけでもないし、生活に困っていたわけでもないしね。満ち足りてはいたけど、当時ははなぜか、自由になりたかったんだよな」
「それって、自分探しってことですか?」
先輩は「そうじゃないな」と呟いて、少し大げさに缶コーヒーを口に含んだ。
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