プロローグ

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 この頃の話を唐突に思い出したのは、僕が会社を辞める3ヶ月前だった。あの頃、僕は心身に異常を来たしていた。  朝起きれば、風邪でもないのに咳が続き、昼間に空腹を感じても、いざ昼食を食べようとしても食欲が出なくなった。頭痛と腹痛が2日置きに続いたりもした。病院にも通ったが、原因ははっきりせず、それが2ヶ月も続いていたのだ。  だけど思い当たる節はあった。  社会人2年目。僕は営業として多忙な日々を送っていた。ただ忙しかったわけではない。べらぼうに忙しかったのだ。  普段から僕は何度も同じミスを繰り返してばかりで、書類の不備や納期の遅れなどが続き、顧客や会社の人間から不信感を持たれていた。  疲れが溜まっていたのかもしれないが、「まだ大丈夫」とか「仕事が残っているから休むわけにはいかない」からと、体に鞭打って仕事に勤しんだ。けれど、その時点ですでに、精神的に追い詰められていたのだと思う。  過労死のニュースを見るたび、「自分は大丈夫」と思うことほど、自分自信を理解できていないと証明しているようだった。僕は自分がすでに、社会問題の当事者の1人になっていたと気づけなかった。  そんなときに、僕はあの日の先輩との会話を思い出した。それから「エスケープ」に憧れを抱き、夢見るようになった。寝ても起きても、自分の今の仕事を全て投げ捨て、無責任になりたくなった。仕事に追われることのない、何の責任も背負わなくていい、そんな人生を想像するようになった。  だが会社を辞めてみても、それは想像とは違うことに気づいた。確かに以前よりも自由になったし、心身ともに元気を取り戻した感覚はある。けれど、今度は「自立する」というしがらみが現れた。  親に頼らず、引きこもらず、自分の力で金を稼ぎ、社会のために働き、幸福を掴み取るという、社会の流れこそが、僕に課せられている鎖なのだと、改めて認識させられた。
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