刹那染まる青へ

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 志織は高校時代の同級生だった。伊織とまだ話したことすらなく、一方的に憧れていた頃から、嫌な顔一つ見せず近堂の片思いをサポートし続けてくれたのは他ならぬ志織だ。そもそも近堂が彼への想いを単なる憧れではなく恋愛感情だと自覚できたのは志織との会話がきっかけだった。 「お兄ちゃん、さっき帰ってきたとこだよ」  黒く伸ばした髪を撫で付けながら、志織は機嫌良く言った。彼女はあまり認めたがらないものの、ブラコンの気がある志織は、兄に会えただけでテンションが二段階くらい上がる。就職活動での試験があると言っていた伊織だが、予定よりも早く帰れることになったのだろう。 「いやー、それにしても、近堂はすごいね」 「え?」  呆気に取られて黙り込む近堂を余所に、志織は腕を組んで満足げに頷いた。にっこり笑う志織の顔が、伊織の笑顔と重なる。 「ずっと一人の人を好きでいて、ずっと追いかけて、すっかり仲良くなっちゃって、それで今もずっと大好きなんでしょ?」 「……うん。知れば知るほど、もっと好きになる」  するりと零れたのは、素直な本音だった。捏ねくり回した理屈を取っ払ってしまえば、近堂の中に残るのはただただ伊織を慕う気持ちだけで、それは憧れでもあり、尊敬でもあり、思慕でもあり、もはや言葉にならないほど増大した真っ直ぐな想いだった。 「やっぱ私の見立て通りだったね。お兄ちゃんには近堂みたいな人がいいって思ってたの。あ、やっば、遅刻する。じゃ、私これからデートなの! お兄ちゃんによろしくねー」  一方的にまくし立てた志織は、ダークグレーのワンピースを翻してあっという間に駅のほうへと駆けていった。彼女の勢いに気圧されてしばらくぼんやりしていた近堂は、まるで高校時代に戻ったみたいだと思った。懐かしいあの頃。どんな状況でも走り続ける力強い彼の背中が、ただ、眩しかった。あの人のようになりたいと追いかけ続けた十代だった。届かないと知りながら、少しでも近づこうとサッカーに打ち込む時間は紛れもなく幸せだった。今、こうしてすぐ傍で生活をして、時々食事を共にできるなんて夢見たこともなかった。  それならば。近堂の胸に灯るのは、強い意志だった。夢見たことすらない、夢みたいな現実があるのならば、その先を夢見てもいいはずだ。自ら招いた状況は、自ら打破するほかない。近堂は再び歩き始める。アパートはもうすぐそこだった。
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