刹那染まる青へ

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 抱きこんだ細い体は近堂の腕にぴたりと馴染み、時折彼が身じろぎする度に揺れる髪が少しだけくすぐったい。引き締まった背中をするすると撫で上げれば、腕の中の人は気持ちよさそうにため息を漏らす。くたりと力の抜けた伊織はどこまでも安心しきった様子で、そんな姿が近堂の胸を暖かくする。 「あー……幸せだなあ」 「何、突然」  胸元で小さく笑う声がした。こちらの言いたいことなんてよくよく分かっているだろうに、伊織はわざとらしく指先に力を入れて見せた。 「伊織さんといられて幸せです、ものすごく」  だから近堂は真剣に答えた。ありったけの想いを乗せて、噛みしめるように落とした言葉。一瞬黙り込んだ伊織は、近堂の首に手を回し、僅かな隙間を埋めるように体を寄せてきた。 「ん。俺も」  きっと赤くなっているのだろう。恥ずかしそうに、小さな声で告げられた返事がいとおしくて堪らない。近堂はますます両腕の拘束をきつくして、嫌がる様子もなく受け入れてくれる恋人の体を力いっぱい抱きしめながら、ふつふつとこみ上げる幸福感に浸った。こんな風に、ただゆったりとこの人を愛おしむことが出来る日がくるなんて。まったく想像もしていなかった。だって、まさか彼が自分に感情を向けてくれることがあるなんて思いもしなかったのだ。近堂の脳裏に蘇ったのは、両手に残った彼のぬくもりを虚しく追いすがり、青い気持ちを殺し続けた日々のことだった。 ――――― ――――――――――  初めて彼を抱きしめた日、自宅へ戻って一人きりになってからも近堂の脈拍は異様な速度を保ったままだった。ドアの真ん前、靴を脱ぐ気にもなれずしゃがみこんだ近堂はつい先ほどうっかり告げてしまった告白めいた台詞とその先の展開を思い出して叫び出しそうになった。何年も前から一方的な想いを募らせ続けた恋だった。忘れられない人がいる、と真正面から伊織を見て伝えた、抱きしめさせてほしい、なんてことも言ってしまった。快く受け入れてくれた伊織はやっぱり優しくて、真っ直ぐで、あたたかくて――そして、彼は何と言っていた? 『俺は志織に似てるっちゃ似てるけど、志織にはなれないからな』  何故そこで彼の妹である志織の名前が出てくるのか。ぶらんと両手をぶら下げて、されるがままじっとしていた伊織。しどろもどろで礼をした近堂に向けられた目は、至っていつも通りだった。
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