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誰もいない美術室で私は瀬古くんと向かい合って座っていた。美術部の活動日は月水金の週三日で必ず全員出席しなければいけない月曜日以外の参加は自由だった。幽霊部員はそれにすら参加していないのだけれど。うちの部活はコンクール目指して頑張る、といった感じではなく顧問は美術の先生ですらなかった。そのゆるさのお蔭で私は活動日以外でも好きな時に鍵を借りて美術室を使うことが出来たのだ。
「とりあえず、ここにイラスト描いてみて……下さい」
私は瀬古君にまだ真っ白なノートのページを開いて渡した。絵の描き方を教えるとはいえ、瀬古くんがどの程度描けるのか、どこまで描けるようになりたいのかを知っておく必要があった。瀬古くんは真剣な表情でノートに鉛筆を走らせていた。
「描くけどぜってぇ笑うなよ」と、言った瀬古くんの絵は、なんというかまぁ、おっ教科書で見たことあるぞ?みたいなそんな感じだった。
「わかっただろ、俺が吉岡に頼んだ理由」
瀬古くんは投げやりに言った。確かにこれは教えるのに中々骨が折れるかもしれない。
「……石膏のデッサンやってみようか」
顔のバランスを取る練習に、と軽い気持ちで私は瀬古くんに石膏像を描かせた。さっき見た瀬古くんの画力から上手に描くことなど少しも期待していなかったのに、瀬古くんの描き上げたものは思いもよらない出来だった。
「すっごい上手なんですけど……瀬古くん、逆になんでさっきの絵は泣く女みたいなことになってたの?」
私も何時間もかける本気のデッサンの指導ができるほどの画力があるわけじゃないけど、美術の授業程度にさらっと描いてもらったデッサンへのアドバイスなら、少なくとも瀬古くんよりは上手く描けるだろうという自信があった。だが蓋を開けてみれば瀬古くんの描いたデッサンは、私が描くそれよりも遥かに上手なものだった。
「瀬古くんはデッサンを誰かから習ったことがあるの?」
「いや、人に教わったことはねぇけど、昔から実物を見て描くのはできるんだよ。だけど目の前にないものを描くのはどうにもできねぇ。俺が描きたいのは吉岡が描いてたみたいなヤツ」
多少なりとも絵の上手さには自信があったので、瀬古くんに負けたことはショックだったけど、それよりも瀬古くんの中に眠る可能性の方が私にはずっと興味深かった。
「大丈夫!瀬古くんはきっと描きたいものが描けるようになるよ!」
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