椿の花が笑う時

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「どういうことだ?」 「殺したい人間が誰か分からないの」  ツバキは淡々と言葉を吐く。それが文章になっているというのなら、俺の理解力が足りていないのだろう。もしくは、常人が理解できないほど高いところの挨拶なのだろう。  この瞬間に俺を襲ったのは後悔の念だった。時々ある。怨念からくる殺意と、幻想からくる殺意をはき違える愚か者は多い。だからこうして仕事を受ける前にアセスメントし、依頼人の信用性を見極めるのだが、 「いや、違うよ? とち狂ってるわけじゃないよ? 病んでるわけじゃないよ?」 ツバキは慌てたが、その言葉でさえ信用できない。  そんな俺の心境を察したのか、ツバキは気まずそうな顔で勝手に続けた。 「殺してほしいのは、三年前、私の父を殺した人。そいつは未だに捕まらなくて、警察も手掛かりさえ見つからなくてお手上げ状態で」 「ちょっと待て。警察でさえ見つけられない人間を俺が捜しだして、その上殺せってか?」 「そう」 「難易度高すぎるぞ」 「お金の問題?」 「いや、普通に考えて無理だろう。俺は人を殺すプロだが、人を捜すプロじゃない。その手のプロが見つけられない人間をアマチュアが見つけ出せるわけないだろう?」 「でも殺し屋は指定した人を必ず殺すんでしょ?」 「指定された人が特定できている場合に限る」  言い捨てるとツバキは黙ってしまった。  自分の中でも多少の覚悟はできていたようで、それほど落ち込んでいる様子はない。  だが、きっとその顔は優しいお巡りさん相手にも見せたのだろう。それでも諦めきれず、納得も共感もできない邪道に走って鬼に助けを求めたのだろう。しかし返ってきた答えが同じともあれば、万事休す。絶望。それが予測できていたから尚更。  顔に出さないのは、それに慣れてしまったからか。表情を変えることすら億劫になってしまったか。それほどまでに泣いたのか。
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