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『ぴゃー!』
小さな背中を追った先にあったのはバスルームだった。
『……兄さん?』
『ぴゃ! ぴゃあ!』
閉ざされたバスルームの扉を懸命に引っ掻き続けるノラくん。
その必死になったような姿に、僕は嫌な予感がして急いで浴室の扉を開いた。
『…!』
扉を開いた途端に、甘い花の匂いを含んだ熱気がじわりと身体を覆う。
瞬く間に眼鏡を曇らせていく湯気。
『兄さん…!』
室内全てが逆上せあがるような熱に包まれている中、僕はお湯を張ったバスタブの中でぐったりとしている兄さんを見つけた。
『兄さん、大丈夫!?』
『……っ』
駆け寄って呼びかければ、 兄さんは薄っすらと目を開いた。
『…あ……なつき…?』
熱さにやられた虚ろな瞳が僕を捉える。
完全に失神しているわけではないようだ。
直ぐに応えた所を見るに、こうなってからまだそこまで時間が経過していないのだろう。
……取り敢えず、大事にはならないようで良かった。
『ほら、出るよ。立てる?』
ひとつ安心した息を吐いて、促しながら浴槽に腕を突っ込む。
意識朦朧でよろめきながらも立とうとする兄の身体を支えて、僕たちは揃ってバスルームを出た。
『馬鹿。限度ってものを考えなよ』
一度その場に膝を着かせて休ませ、濡れた身体をバスタオルで包みながら小言を言ってやる。
熱にうだっている兄は、重そうな目蓋を伏せて辛そうに僕に寄りかかっている。
『……だって』
『ん?』
そんな兄が、縋っている僕の元で微かな声を零した。
『むだにしたくなかった』
『無駄って?』
ぽつりぽつりと落とす声はとても小さく、言葉遣いもどこか辿々しい。
それでも何か訴えようとしている兄に、僕は懸命に耳を傾けた。
『…………ばすぼむ…』
『…バスボム?』
『おまえが、くれたものだから…』
『……!』
『だからおれは…。……』
話す気力を失ったらしい兄は、それ以上は何も言葉にしなかった。
思いがけない言葉に茫然としている僕に凭れながら、なけなしの意識を手放した。
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