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「じゃあ、行ってくる」
靴を履き、玄関まで見送りに来た那月とノラに振り返った。
「はーい行ってらっしゃーい」
腕に抱いたノラの前足を振って見せながら、那月は気前よく俺を送り出す。
そんな彼も、後15分後には仕事のために家を出る。
「今日は…日勤だよな?」
「はいそうだよー」
「…そうか」
彼の返答に、俺は視線を逸らすように俯き小さく頷いた。
――日勤ということはつまり、夕方過ぎまでの仕事か。
泊まり込みじゃないから家には帰ってくる。
だから夜は一緒に過ごせる。
俺が仕事を早目に切り上げれば、その分一緒にいられる時間も長くなるかもしれない。
……あぁ、でも。
那月の方が残業で遅くなるかもなのか…。
「…。今日は急いで帰って来なきゃいけないみたいだね」
「え……」
「兄さん物欲しそうな顔なんてしてるからさ」
「!?」
顔を覗き込まれながら、にっこりと微笑まれる。
そしてその笑みから発せられた言葉に、俺は頬が熱くなるのを感じた。
「朝から何言ってるんだ!」
「夜ならいいの?」
「ち、違う! 屁理屈言うな!」
目を細めてふざける那月を突き飛ばそうとした手が、宙を切る。
俺の挙動を瞬時に察した那月が、さっと身を引いたからだ。
「ほら早く行きなよ、遅刻するよー」
「……っ」
けらけら笑う那月をひとつ睨んで、俺はそっぽを向く。
そして収まらない恥ずかしさの熱を抱えたまま、ドアノブに手をかけた。
「あ、ねぇねぇ。兄さん兄さん、兄さんってば」
そんな俺に、性懲りも無く那月は呼びかける。
「…なんだよ…」
そうして何度目かの呼びかけで煩わしげに振り向いたときだった。
「……っ!」
頬に手を添えられた俺は那月に。
柔らかく触れるようなキスを、唇に与えられていた。
「……」
――…目を瞬き呆然と立ち尽くす俺。
その姿を見て、那月は悪戯っ子のように微笑んだ。
「後は夜までの我慢、ね」
頬から離した人差し指を自身の唇に充てがいながら、楽しげな声で那月は言う。
そんな彼を前に俺は言葉はおろか声も発せず、逃げるように家の外へ飛び出した。
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