△月○日

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「本当に、それで良いと言うのですか?」 オカルトにすら思える人読みの精度。 それは警察官という職で培ったものなのか、それとも天性の才なのか。 どんなに憎たらしく言葉を飾っても、美鷹那月はそれらに見向きもせずに本質を見つめてくる。 「先ほども言った通りです。僕は何もしない。する必要がありませんから」 俺が結果を急ぎ過ぎた故に選択を誤ったのではない。 彼はきっと、俺がどうこう出来る相手ではなかったのだろう。 「――…院長の”弱味”があなたのことで、あなたを守るために自分を犠牲にしていると知っても、ですか?」 いわば切り札として残しておいたその言葉も、もはやダメ押し同然だった。 「ええ。そうです」 快い表情であっさり頷く美鷹那月に、俺は小さく苦笑した。 もう俺には、彼を動揺させられる言葉がなかった。 どうあがいても、嘘つきを見つめる彼の瞳を誤魔化すことは、出来なかった。 「必死で守ろうとした弟に見捨てられるなんて、あの人も哀れな方だ」 諦観の笑みと共に皮肉を吐き捨て、俺は小さな溜め息を零した。 理想から遥かかけ離れた現実に、ただひたすらにやるせなさを抱くしかなかった。 (……悔しいな) 心底からそう思ったとき、脳裏に美鷹香月の姿が浮かんだ。 独りきりで思い悩んだ表情をして遠くを眺めている、そんな寂しい姿だ。 思えば、俺の思い浮かべる彼はいつも曇った表情をしていた。 部外者の俺はいつも、彼のそんな姿しか見ていなかったのだ。 (何か手はないものか) 美鷹那月という人物を前に、状況は覆らないことを悟る。 自身の至らなさに、失望する他ない。 理想を目指せないことを知った今、もうこれ以上 美鷹香月を無意味に傷付けないためにも、手を引くのが一番良いことを理解していた。 けれどそれでも、何かないかと再び考えを巡らせる俺がいた。 例え不毛であっても、”諦めるわけにはいかない、諦めたくない”と、躍起になる自分がいた。 だって俺は、唯一。 美鷹香月の心の寂しさを知っていて。 そしてそれを晴らす方法を知っている人間なのだから。 「僕に見捨てられたあの人を哀れだと言うのなら」 そんな俺に、彼は。 「あなたが愛してあげてください、一色さん」 美鷹那月は、柔らかく微笑んでそう言った。
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