△月○日

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――…彼の優しい表情と声を目の当たりにした俺が最初に浮かべた感想は。 ”ああ” という、なんとも間抜けなものだった。 「普通でいいんです。 一緒にごはんを食べて、緩い会話で適当に時間を過ごして。朝はおはようで始まって、夜はおやすみで終わる。 そういう、何でもない毎日でいいんです。 あの人に必要なのはそんな毎日と、それを約束してくれる存在なんです」 美鷹香月と美鷹那月は、兄弟と言われてもピンと来ないほど容姿が似ていない。 けれど今の美鷹那月は、美鷹香月によく似ていた。 それは彼の表情が、以前俺に想い人のことを語ってくれた美鷹香月によく似ていたからだった。 相手のことを思い出し、大切そうに語った美鷹香月の表情と。 「……那月さん、それは」 俺は、美鷹香月が不憫だった。 助言を求めるどころか、ただ話を聞いてもらうことすら許されないような悩みに独り苦悩している姿が、見ていられなかった。 助けたかった。 モラルや常識に囚われる余り、この先ずっと悩みながらも閉ざし続けるであろうあの人の想いを、なんとかして美鷹那月へと繋げたかった。 ……けれど俺の心配も行動も、どうやら無意味だったようだ。 「それは、あなたの役目ではないでしょうか」 美鷹香月の想いは、もうとっくに美鷹那月に繋がっていたのだ。 「僕は、あの人には堂々と生きてほしいんです」 唐突であろう俺の言葉に、美鷹那月は怪訝そうにもしなければ否定もしなかった。 投げ掛けられた言葉の表面も内面も当たり前のように受け入れて、笑って俺に答えた。 「日向に出て、後ろ指を指されない真っ当な幸せを掴んでほしい。 それは、僕じゃ絶対叶えてあげられないことなんです」 その姿をどこか寂しそうだと捉えるのは、俺が彼の想いを都合良く解釈しているからだろうか。 「だって僕、あの人の弟ですから」 けれど一旦そう思ってしまうと、やり切れなさだとか切なさだとかで胸が痛くなった。 彼らが家族じゃなければ、血が繋がっていなければだなんて、どうしようもないことを考えてしまった。 「それでは、あなたが。あまりにも報われないじゃないですか」 だって、美鷹香月が。 人として美鷹那月を愛しているように。 「僕は、兄が幸せになってくれたらそれでいいと思っています。 もし、その願いが叶うのなら。 本当にあの人が幸せになれるのなら。 その幸せの中に、自分の居場所がなくてもいいんです」 美鷹那月もまた、あの人のことを……。
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