第1章

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 足音が聞こえる。高いヒールがアスファルトを叩く音。革靴が水溜まりを避け切れず、水を弾く音。数秒後に、当人であろう、微かに舌打ちをする音。その様を見て、数メートル後ろを歩いていた人がせせら笑う音。 何故、自然と耳に沢山の音が飛び込んでくるのだろうか。アパートの室内で寝転びながら、隆康は一人で考え込む。 今までは、普通の学校生活を送っていた。内気で気弱な性格の為、いじめにもあった。だが、そんな状況から抜け出す事に成功した。 きっかけは、誰かの手助けがあった訳でもなく、己の考え方や性格を変えただけの事だ。  まずは、大きな声で周りに挨拶をする。常に笑顔は絶やさない。話しかけられたら、熱心に相手の話に耳を傾け、適度に相槌を打つ。 聞き上手が話上手になるは、的を射る。その効果があったのか、隆康へのいじめは無くなり、いじめていたグループは、他の奴へと目を付けていった。  その光景を見ながら、負の連鎖になるのではと逡巡もした。だが、もう俺は標的では無くなった。もう関係無い。俺以外が、どうなろうと見えない振り。聞こえない振り。 いじめの対象が、すぐに俺以外の、更には今まで心配してくれていた友人に移った時でさえも、そんな振りをし続けた。 こんな自分は愚かなのかと自問自答するが、いじめの恐怖感がその先へと至る思考を遮断した。 遮断せざるを得なかった。 クラス内では、かなり目立つ存在となった。明るくて元気な人。話しやすい人。きっと、周りからの印象はそのように様変わりした事だろう。  小学校であれば、一気にクラスの人気者。俺は、最下層から這い上がった。言わば、人知れず努力して、一番上位の層に食らいつく事が出来た立派な成功者だ。 だから、後悔はしていない。 八畳の狭い和室の部屋から起き上がり、開いた窓から網戸越しに外の風景を見下ろす。  今日は生憎の雨。大粒ではないが、肌にまとわりつく様な小雨が薄暗い空から降ってきている。窓が開いたままだったせいか、小雨がふりこみ、窓の付近の畳が湿り気を含んでいた。 どの位濡れているのだろうかと、屈みこみ右手の人差し指で湿った畳を押さえてみる。ぐじゅぐじゅとした感触がかえってきた。 予想以上の感触に、思わず指を離し、手の平を自分の顔の方に向けた。手がかなり汗ばんでいた。
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