プロローグ:だいすきな兄

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プロローグ:だいすきな兄

 兄弟は仲が良かった。  自分はいつだって、一歳年上の兄の後ろをついて歩いていたし、その兄もいつも自分を気にかけてくれた。母も父も優しく、自分の家はごく普通の、円満な家庭だと疑いもしなかった。  その日は、毎月兄弟で読んでいる雑誌の発売日で、雑誌の入った袋を小脇に抱え、家路を急いでいた。兄が高校生になってから、以前のように一緒に過ごす時間も減った。  ただ、一ヶ月に一度だけは、兄とその雑誌のことで語り合うことができる。自分にとって唯一の楽しみだった。 「兄ちゃん、買ってきたよ!」  兄の部屋は二階で自分の隣。本屋から兄の部屋の扉までずっと走ってきて、その勢いでいきなり部屋を開けた自分が悪かったのだ。  昼間だというのにカーテンが引かれた薄暗い部屋の中で、ベッドの上に兄が全裸で仰向けに横たわり、その上には同じく全裸の女がいた。女は、兄に下から突き上げられて激しく体を揺すられ、その女は髪を振り乱しながら嬌声をあげていた。それはいわゆる喘ぎ声というものだろう。  部屋中に響く、女の声と肌がぶつかり擦れる音。中学三年生の自分ではまだ受け入れがたい、非現実な大人の世界。その目の前の光景に言葉も出せず、要はその場に立ち尽くした。 「ちょいタンマ」 「えっ……何?」 「弟が見てる」  自分に気づいたのか、動きを止めた兄の声に自分も我に返る。振り向いて自分と目が合った女は、慌てて床に脱ぎ捨ててあった服を掴んで、部屋を飛び出していった。それでもまだ何も身動きがとれない自分に、兄はめんどくさそうに頭を掻きながら体を起こしながら、要が手にしていた雑誌を見ながら言った。 「あー、今日発売日だっけ。先に読んでいいよ」  返事すらできない。声も出ない。そして全裸のまま、兄は部屋を出ようとするとき、ひとことだけ言った。 「今度から部屋入るときは、ノックしてくれる?」  それは、獅子ケ谷要が中学校三年の出来事だった。
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