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猫が懐いているということは、見かけほど悪い人ではないのだろうか。
このまま近づくか、それとも立ち去るかを考えていると、男の顔が急にこちらに向いた。
「――ん? 何見てんだ、こら」
サングラス越しに視線がかち合い、彼は威嚇するようにすごんだ声を出す。
下から舐めるように睨み上げてくるガラの悪い男に体がすくみ上る。
「あ、いえ」
こういう時は何も言わずに視線をそらすのが鉄則だというのに、私は反射的に声を出してしまい後悔する。
こうなったらプリンを買うしかなさそうだ。
肩にかけたバッグから財布を出そうか思案している間に、男が立ち上がる。
警戒して思わず後ずさると、彼は抱えていた猫を離してひらひらと手を振った。
「あー、ごめんねぇ。ちょっと、機嫌が悪かったからつい。こんな美人さんを怖がらせるなんて、お詫びをしたいから連絡先教えて」
男はかけていたサングラスを取って胸もとに引っ掛けた。
軽口をたたきながら彼はズボンの後ろポケットからスマホを取り出す。
操作しながら近づいてくるにつれ、ふとその顔に目が止まった。
この男は――。
「……お? おおっ? おおおおっ!」
今すぐここから逃げ出そうと、スーツケースの取っ手を持った時だ。
私を指さし、男が走り寄ってきた。
「な、なんですか?」
「どんくさシーちゃん! ドロシーちゃん!」
男は私の鼻先に指を突き付け、嬉々として呼んだ。
そのメルヘンな名前に、在りし日の悪夢がよみがえる。
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