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「兄上がかぁ! 」
「はい」
そう女中が答えると、かなは嬉しそうに走って行き、それを文が追いかけた。
「かな姫様、なんとはしたない! 」
しかし加倉はまたも怒りながら、かなを追いかけた。姫ともあろうものが廊下をバタバタと走る姿が情けなく思ったのである。
それで、若様である水野勝成がなぜ帰って来たかというと、父水野忠重は織田家に仕え、織田信長亡き後は、信長の次男信勝に仕えたが、小牧長久手の戦い以降は秀吉に仕え、秀吉が亡くなった今は徳川家康に従っていた。このように主家を変えながらも戦国の世を生き抜いてきて、この刈谷の地を維持してきたのである。
そして水野忠重の嫡男である水野勝成は長い間勘当の身であった。
この15年前の1584年に起きた小牧長久手の戦いの陣中で、父忠重の家臣を切り殺した事で忠重は激怒して勘当したのである。
それから勝成は、最初は家康にかくまわれるが、忠重の追及もあり、美濃や京と転々とした。一時秀吉の兵として四国征伐に参加し、その功績から知行を与えられるも、それを捨てて九州へと落ち延びる。その後肥後佐々成政に召し抱えられ肥後国人一揆で一番槍の活躍を見せる。
しかし佐々成政がこの一揆の責めを負い自害すると、その後仕官先を転々とし、その後は小西行長に召し抱えられる。天草五人衆の反乱でも武功を上げるもすぐに出奔し、加藤清正、立花宗茂に召し抱えられるも、すぐに出奔している。
その後、京に上り家康と再会した事で、家康の仲立ちにより、今日、父の元へと帰って来たのである。
かなは勝成の記憶がそんなにあるわけではない。なぜなら2歳の時に別れたきりだからだ。でもかなにとってはいい思い出ばかりが残っているらしい。戦場の鬼もかなには優しかったのだ。
かなが玄関にたどり着き、正座をした。
「お帰りなさいませ兄上」
かながそう言って頭を下げると、勝成は玄関へと入って来て、かなを見つめて戸惑った。なぜなら勝成が出て行った時は、2歳の赤子同然の子。それが綺麗な女子となっているからである。
「もしかして、かなか? 」
勝成が、頭を下げてかなを覗き込むようにして聞くと、かなは頭を上げ、満面の笑みで答えた。
「はい、そうでございます」
勝成はそう聞くと、こちらも満面の笑みに戻り喜んだ。
「そうかそうか。美しくなったの~う。かな、元気であったか? 」
「はい、元気モリモリです」
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