0人が本棚に入れています
本棚に追加
そうガッツポーズをするように答え2人で笑い合うと、かなの後ろに家臣である中山が姿を現した。
「お久ししゅうございます。若。道阿弥様、ご苦労に御座います」
中山は頭を深々と下げて挨拶した。
この勝成とともにきた道阿弥(どうあみ)というお坊さんは、元は山岡景友という武士で、秀吉の御伽衆(おとぎしゅう)という側近で、政治的な相談役を務めた。秀吉死去後は家康に仕えていた。
「中山か。色々とあいすまなかった」
勝成が普通に謝った為、中山は驚いた顔を見せた。あの暴れん坊であった勝成が素直に謝っているからだ。
15年前は中山の助言も無視して、戦場で勝手な振る舞いをしたのである。その勝手な振る舞いを父忠重に報告したと、忠重の家臣を斬ってしまったのである。それにより勘当されたのだった。
「いえいえ、お父上がお待ちです。勝成様、道阿弥様こちらへ」
「うむ」
中山に先導されるまま勝成たちは城の奥へと入って行った。
中山に通された勝成は下座に座り、その横に道阿弥が座った。中山は勝成の左前に横向きに座った。そしてかなも部屋に入り、勝成の右前ぐらいに、勝成に向くように、斜め向きに座った。
「殿が参ります」
中山の声で、勝成も中山もかなも頭を下げると、そこに忠重が入って来て、1段上の上座の真ん中に腰を下ろした。
「父上、長年の間、ご無礼を申し上げまして申し訳ございませぬ」
勝成は頭を下げたままそう言うと、忠重は何も言わずただ勝成を見ていたため、部屋中が静まり返っていた。
その為、かなはキョロキョロしており、空気を読んだ道阿弥が話し出した。
「忠重殿。息子殿が帰還されましたぞ。これより親子ともども、親方様にご奉公なされるとよかろう」
そう道阿弥が言うも、忠重は黙ったままだった。その為今度は中山が口を開いた。
「殿、若は太閤殿下の元では四国征伐でも肥後国人一揆でも一番槍の活躍であったと聞き及んでおります」
そう言うと、忠重は怒りだし、
「太閤殿下から知行を頂いたものを無視して九州に出奔し、その後も戦が終われば勝手に出奔したと聞く。何たる恩知らずものがぁ! 恥を知れぇ! 」
「父上! 」
忠重は勝成の些か礼を重んじない行動に怒りを覚えていた。そんな忠重に、かなは少し声を上げた。
「忠重殿。色々と言いたい事も御座ろうが、これは親方様の命。どうか怒りを治めて頂き親子仲良くしていただきとうござる」
最初のコメントを投稿しよう!