血を吸う谷 あるいは童子伯爵の闇の聖母

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 開いてみると、携帯電話のカメラで写した画像だ。私は、じいっと見つめ、それが何であるかがわかると、  ああ、やっぱりそうだ、先生はあの谷に……  白峰先生のあれから二ヶ月間の行動が、予想ではなく確信に変わって、その写真から目を離すことはできなかった。  映っているのは、白磁の観音座像だった。  古い石の祠に安置してあるのを、腰をかがめて見下ろす角度で撮っている。  てのひらに乗るほどの大きさだろう。フラッシュの光を受けて陰影がついているのに、埃と、長い歳月とのせいでか、表面が溶けたようにのっぺりとしたかんじだった。  頭巾の下は、東洋風の、ふくよかで柔和な観音様の顔立ちだ。  膝の上に、丸い坊主頭の童子を乗せて、片手で抱いている。  観音の胸元をよく見ると、ほくろのような四つの白い点がある。数珠に似せているが、これは十字架だ。  マリア観音像。  最近の私のにわか仕込みの知識でもわかるほど典型的な造形だった。  たとえば長崎の大浦天主堂辺りには、近隣の信徒から寄贈された同形のものが数点現存する。戦国時代のキリスト教伝来以降、中国大陸から輸入されたのだ。信徒たちの身辺に備えられて、徳川幕府に禁じられるまでは、この国にも数多くあったのだそうだ。  四、五百年は経とうという貴重な品が、博物館の所蔵となるわけでもなく、暗がりにうち捨てられている。  祠の周囲は、苔に覆われた石の壁のようだ。画像の端に少し写っているだけで判断できないが、キリシタンの洞窟礼拝堂の跡かもしれない。  白峰先生はこの場所を発見して、マリア観音像の写真を急いで私宛てに送ったにちがいない。
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