血を吸う谷 あるいは童子伯爵の闇の聖母

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Ⅱ  私は大学を出てから数年のあいだ、高校で講師をしながら、教員採用試験を受けつづけていた。三十年も前のことだ。自分で言うのもおかしいが、若く、熱心な、教育の理想にあふれた青年だった。  ある年、阪神間の或る高校で二年生の現代文を担当した。  そのうちの一クラスの担任が、白峰先生で、私よりひとまわり年長の先生は日本史を教えておられた。  年度末も近づいた一月の半ば。  白峰先生は国語科の職員室に入って来て私に言った。 「修学旅行の作文、読ませてくれますか」  何か心配事があるようすで眉根を寄せている。  二年生は十日ほど前に修学旅行から帰ってきたばかりで、私の授業では、修学旅行の思い出を書かせたばかりだった。  先生は自分の担任クラスの作文の束を受け取ると、そばの休憩用のソファに座って、名前を確認して何編かの作文を選んだ。表情は入ってきたときからずっと曇っていた。  当時の高校では、修学旅行はスキー研修と決まっていた。バスをつらねて信州のスキー場へ行き、ゲレンデのホテルに二泊三日し、生徒たちは班に分かれてスキー研修をする。その学年は、××高原へスキー修学旅行に行き、白峰先生の副担任だった私も付き添っていった。 「何かあったんですか」  私が訊くと、白峰先生はうなずくようにも首をかしげるようにも見える頭の振り方をして、 「野々村が休んでいるでしょう」 「そういえば、修学旅行から帰ってきてから、学校に来ないですね。病気ですか」 「母親から体調不良で休みますという連絡が一度あったきりでね」
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