青き時間は長くも短い

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「わからないわよね」 「……はい」 「実は俺たちもわからないんだよね」 「でも、私たちは大人ってことになるのよ」 「だから、俺たちは仮の結論を出したんだ」 「大人になろうと努力し続けるのが大人なんじゃないかしらって」 「そうさ、それで大人と子供ってのはフォルテとピアノじゃなくて、クレッシェンドなんだ。学校で習っただろう?」 「はい。なるほど、クレッシェンドですか、深いですね」  その表現はとってもぴったりだと思う。区切っても分けられない曖昧さは、きっとクレッシェンドだ。強弱はあるけど、どういうのが「強い」で「弱い」なんてのは具体的に決まってない。そんなこと気にせずに、ただ次第に強くするだけでいい。その程度に限界はない。やろうと思えば、どこまでも強く演奏できる。だから決まった「強い」ものはない。さらに上があるかもしれないからだ。  だから僕は自分を大人だなんて言えない。百人中百人が大人だと言う理想の姿があるからだ。その姿と比べると、たぶん誰もが大人として不完全な子供に過ぎないと思う。  そんな中で無理やり大人を決めるのなら、シロが言ったのがいいに違いない。だって、僕も最近までは大人になろうと努力なんてしなかった。歳をとればなれると思っていた。見た目が濃くくすんでいると、大人だなんて勘違いしていた。それが、とても子供っぽくて恥ずかしい。
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