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橙のような日が落ちていく。江戸の町も同じ色に染め上げられ、酉の刻の鐘がなる頃には、道沿いに軒を連ねる店も暖簾を下ろしていた。その店の奥、女たちが忙しそうに飯炊きをしている。湯気の中に味噌の香り。
「あさぎ、だんな様のお膳の準備おし」
「はい」
庭にいた、あさぎと呼ばれた下女は小さく返事した。洗濯物を渡した紐から下ろすと、急いで家に入る。
齢十五になる彼女は、痩せっぽっちで威勢も良くないがよく働く。あまり物音を立てずに手際よく白米を盛り付けると、女中たちが運びやすい場所に膳を並べた。
その日の仕事が終わり、台所の窯の手入れを終えた真っ黒な手で額を拭う。他の女中たちは先に食事を摂っていた。
「あさぎ!」
明るい声にはっとして顔を上げると、庭に若い男。月明かりに照らされながら笑顔で走ってくる。歯と大きな目がやけに白く見えた。彼が日焼けしているからなのかもしれない。
あさぎは咄嗟にうつむき、顔が赤くなるのを隠そうとした。しかし青年は彼女の顔を覗き込む。
「その顔、どうした?」
彼が噴き出したのであさぎはきょとんとした。その額には真っ黒な太い線が一本擦り付けられている。男は大きな口で笑いながら、井戸の桶を引き上げ、手ぬぐいを濡らした。
「ほら、べっぴんが台無しだぜ」
そう言い、彼は優しく汚れを拭き取る。あさぎは何が起こったのか分からず、おろおろした。彼の温度に、心臓が飛び出さないようにぎゅっと胸元を押さえた。
「その手で汗でも拭ったんだろ」
その指摘に、あさぎは自分の手を見る。なるほど、すすが付いた手は真っ黒だった。
「あ、ありがとうございます。縹之介さま」
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